もっと遠くへ

山が好き。走るのが好き。さぁ、果てしない旅に出よう!

子育てとは人生を二度生きること

  週末に、息子との瑞牆山(2230m)を登った。ちょうど四年前の苗場山(2145m)登山以来だ。
   実は今年のお盆休みに奥穂高岳(3190m)登山を計画している。何も大混雑のお盆休みに行かなくてもと言いたいところだが、仕事と部活が両方まとまって休めるのはここしかないのでしかたない。さすがに3000m級の山ともなるとぶっつけ本番は心配なので、今回の瑞牆山登山は息子の体力テストのつもりだ。

  中学でバスケ部に入ってから、小学生の頃のポッチャリ体型から見違えるように身体が引き締まってきたので大丈夫だろうと思うが、どうなることやら。

 まずは登山口で同行してくれたラン友三田さんと記念撮影。頼り甲斐のある兄貴って感じだね。さて息子のこの笑顔が最後まで持てばいいのだが。
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  登山口から山頂までの距離は4kmと短いのだが、山頂付近は岩場の急登。奥穂高岳の予行演習に相応しい。そんな岩場も難なくクリア。
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そして山頂到着。
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余裕ありそうなので一安心。三田さんは服脱いじゃったりして野生化してる・・・

山頂からの景色はサイコー!
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奇岩に圧倒されます。
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遠くに八ヶ岳連邦の美しい姿。
いつかあそこを縦走したい。

  絶景を堪能し、珈琲を淹れて寛いだところで下山開始。実は岩場の下りは登りよりも怖いし脚を使います。丁寧に足場を見つけながら降りて行きます。
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 ふと見ると登山ルートの傍にあるたいがいの大岩の足元には、何故かたくさんの細木が立て掛けてある。「倒れるなよ」というおまじないなのか? こんなもんで支えられるわきゃないけどなぁ。人間って面白い。
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 岩場を抜けると深い緑に包まれた心地良いトレイル。午後の柔らかな木漏れ日に癒されながら登山口へと降りていきます。気分爽快。
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そして無事下山。
体力テストは合格!
あとは奥穂高岳に挑戦あるのみ!
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  帰りは近くの温泉で汗を流してスッキリ。身長が同じに見えるけど必死で背伸びしてます。親を追い越そうと背伸びしたい年頃なんだろう。自分もそうだったのかなぁ。

  さて、今回の荷物は今度の奥穂高岳を想定したフル装備でした。自分はOMM32L、息子には僕がトレランレースで愛用のOMM15L。
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  穂高へ行くのがお盆なので山小屋の混雑があまりに酷いなら(もちろん天候が荒れてなければだが)テント泊もできるように自炊道具、テント、シュラフ、マット、防寒着・・・e.t.c.
かなり重くなりますが、走るわけじゃないし自分が重いのは平気なのでトレーニングだと思って担ぎます。
  気になる重さは、水や食料入れて僕が12〜13kg、息子が4〜5kgくらい。昔の登山に比べれば格段に軽量と言って良いでしょ。(かなり道具に投資してます^_^;)
  
  ここでようやくこの話の「落ち」を書くことにしよう。

  何故いきなり奥穂高岳へ連れて行くのか?

  それは自分が今の息子と同じ中二の時、親父にいきなり奥穂高岳に連れて行かれたからだ。なんて無謀な!と今も思わなくもないが、自分もその時バスケやっててそこそこ体力はあったし、息子も同じように行けるんじゃないかと・・・
  なんて偉そうなこと言って実は初めての3000級はへこたれた。初日に岳沢から前穂高岳に登る途中で高山病になり吐き気と頭痛でフラフラになったのだが、親父が自分の荷物を全部担いでくれたお陰で空荷で、なんとか日の入り前に奥穂高岳山荘へ着くことができた。親父って凄いわ。
  無事辿り着いてホッとした時に、山荘の眼下に生まれて初めて見た広大な雲海とそこに浮かぶ富士山と沈む夕陽の美しさに、高山病の苦しさが一気に吹き飛んだ。その後、大学生になって自分で登山を始め、再び奥穂高岳に登ったのも、今回、息子を奥穂高岳へ連れて行こうと思ったのも、この一瞬が原体験として心の奥底に深く刻まれているからだと思ってる。
  その親父は13年ほど前に65歳で早死にしてしまった。僕を山へ連れて行ってくれたのは親父が40歳くらいの時だ。何故、息子をそこへ連れて行こうと思ったのか今や知る術もない。当時にFacebookがあって何か書き残してくれてたらなぁ、生きてる間に聞いとけば良かったなぁ、と今更ながら思う。

「子育てとは人生を二度生きること」と言われるが、こうして自分と息子の人生の時空を重ね合わせてみると、ほんとにそうなんだなと染み染みと感じる。
 親父に感謝!