中山道 "風の旅”(第3ステージ、第4ステージ)
(第1ステージ、第2ステージから続く)
【第3ステージ】馬籠宿ー太田宿
60km-12hr(5/3 8:00スタート)
昨夜からの雨は明け方まで酷く降っていたがスタートする頃にはちょうど止んだ。幸先が良い。しっとりと濡れた路面は質感が増してとても美しい。
視界が開け中津川宿が見えた。
坂をくだり中津川宿に入る。
中津川中山道歴史資料館の前の特設エイドに立ち寄り、名物のお菓子やフルーツ、飲み物をいただく。
実は昨夜、ここのスタッフの方が馬籠の宿へご足労いただいて中津川宿の魅力を一生懸命説明してくれたのだ。そして今日はこんな温かいおもてなし。感謝感激。
宿場の出入口はこんな風に道が折れ曲ってる。これを「枡形」(ますがた)と呼ぶ。外敵に一気に攻め込まれないようわざと道を曲げたのだそうだ。戦さの時には宿場は要塞でもあったのだ。
中津川宿を通り抜け再び宿場を見下ろす。昔の人もここでこうして振り返っただろうな。
しばらく田園地帯を走ると石畳の道が現れる。難所十三峠の入口だ。
ここから大鍬宿まで14kmほどの間に十三の峠があるという。これも枡形と同じで、敵に一気に攻め込まれないよう軍事的な意図でここを道にしたそうだ。一つ一つの高低差はさほど大きくはないが、何度も何度も峠を越えるのは旅人にとってはひと苦労だったろう。
だからこそ近代化の波から取り残され、こうして今、こんなにも素晴らしい旧道を満喫できるのだから有難いことである。
旧道があまりに素晴らしいので、さほどキツさも感じることなく十三峠を越え大鍬宿へ入る。
地元感溢れるカフェ?のオープンテラス?で、田舎コーヒー(100円也)をいただく。
実はインスタントなんだけど、ジャーニーラン中にちゃんとしたカップ&ソーサーで飲むなんてのは贅沢なことのように思える。
しばらく行くと再び石畳が現れる。琵琶峠だ。
石畳は凹凸があり快適というわけではないが、趣きがあって良い。
山間を抜け車道を走る。
太田宿の手前で陽が沈む。
だけど今日は夜通し走らなくていい。
宿に入って、夕飯食べて、風呂入って、布団で寝れるんだ。日常なら当たり前のことがやけに嬉しい。
宿に到着。たったの60km?だったけど、初めてステージ完走できたことが嬉しい。残すは最終ステージのみ。
到着後すぐに夕飯を食べ、風呂のシャワーで念入りにアイシングして眠りにつく。
またしても全く夢を見ない深い眠りから覚める。走ってるか、寝てるか、食べてるか・・・頭より身体主体のシンプルライフだから、睡眠は身体を休めるための時間であって完全に思考が停止してるのだろう。真逆の日常生活では何某かの執着で疲労した頭をリカバリーするために支離滅裂な夢を見るんじゃないかと思う。いかに日常生活が頭に翻弄されているかが分かったような気がする。
【第4ステージ】太田宿ー京都三条大橋
148km-36hr(5/3 8:00スタート)
快晴で爽やかな朝。宿を出てスタート地点へ移動し8時に走り出す。京都三条大橋まで148kmの長旅の始まりだ。
ほどなく大きな川の土手に出る。木曽川だ。昔も今も変わらず悠々と流れ続けている。
途中、川土手を離れて切り立った斜面に入り崖っぷちをトラバースする。昔はこんな柵なんかなくて危ない場所だったと思う。短い距離だけどこうして旧道の断片が保存されているのは嬉しい。
木曽川を離れ少し山へ入ると、うとう峠の入口がある。
朝の木漏れ日、鳥の鳴き声、沢のせせらぎ。やっぱりトレイルは癒される。
うとう峠を越えると鵜沼宿。ここも電信柱が無く、町の保存に一生懸命なのが伝わってくる。
鵜沼から各務原へ向かう途中、国道から少し離れた高山本線沿いに寄り道する。
なんと路面にこんな文字が。
末房さんの粋な計らい。
色々あったけど400kmまで辿り着いたんだ。ここまでずっと藤原さんと2人で走って来たんだけど、ひょんなことから阿部さんというご年配の女性が加わり三人に。たしか太田宿から先頭集団についていってたはず。ご年配なのに凄いなぁと思ってた。やっぱりついていくのはしんどかったみたい。年齢を尋ねるとなんと古稀(70歳)! しかし走り始めるとちゃんと並走してる。凄い。走力は問題ないとして、どうやら道が不安とのこと。たしかに用意されてた地図は第1回ということで不十分なところがある。中山道は案内標識が整備されている方だと思うが、どこか一箇所でも不案内だとロストする。いくら現在位置が分かっても旧道がわからないと前へ進めない。自分は甲州街道“鳥の旅”の経験で事前に地図アプリに旧道を記録してるので、たとえどこかでロストしても復帰できる。この差は大きい。つまり、阿部さんは僕らについてこなければ前へ進めないということだ。これも何かのご縁。それなりに走力もあるわけだしこりゃ道中ご一緒するしかない。まさに珍道中の始まりだ。
こんな路地が旧道だったりする。
阿部さんと記念撮影。
旧道を残してくれてありがとう。
岐阜の中心部を過ぎた辺りでウッチーさんの私設エイドへ。冷たいそうめんをたっぷりいただいて大満足。さらに末房さん特製の肉野菜炒め。
私設エイドを出てすぐ大きな川を渡る。長良川だ。
ここでも記念撮影。
藤原さんは結構マメで時折こうして写真を撮ってくれる。だいたいいつも独りで走ってることが多いので、たくさん写真は撮るけど自分は写ってない。とても有り難いなと思う。
川を渡った対岸が文字通り河渡宿だ。こじんまりとして静かな宿場だがさりげなく昔の面影を残している。
関ヶ原の手前で日没が迫る。
ナイトランに備え腹ごしらえしておきたいのだが旧道沿いは驚くほどにコンビニがない。ようやく見つけたコンビニは砂漠のオアシスだ。
ガッツリ食べて出陣。いざ関ヶ原へ。
夕暮れの空に伊吹山が見えた。あの山の向こうは琵琶湖だ。
真っ暗な旧道の先に灯りが見える。関ヶ原の手前、垂井宿の祭りだ。立ち並ぶ出店を眺めながらが歩く。ナイトラン中のささやかな癒しの時間だ。
緩やかな坂道を延々と登り関ヶ原へ到着。ちょうどその時、末房さんから連絡が入りその先の柏原駅で待ってるという。柏原駅に着くとなんと出来立てオムライスが待ってた。コンビニ飯より断然旨い。美味しいものを食べると活力が湧いてくる。次は数キロ先の醒井宿で待ってるという。どうやら先行の“ウサギ”グループはネットカフェで仮眠に入るということで、我々“カメ”グループをフルサポートしてくれるらしい。深夜の辛い時間帯の手厚いサポートは本当にありがたい。
深夜0時に醒井宿到着。さっき食べたばかりでそんなに飲み食いするわけじゃないけど、こうして待ってくれて言葉を交わすこと自体が前へ進む活力になる。
醒井宿は名水の里として有名だったそうで水量豊富な立派な水路が印象的。いつか昼間に訪れたい。
ここから数キロ先の摺針峠を越えるとその後は琵琶湖に沿って下り基調が南端の瀬田まで続く。次はその摺針峠で待ってると言う。もう一踏ん張り頑張ろう。
峠に向かう途中、名神高速道路のすぐ横を通る。
大阪の実家へ帰省する時に何度もここを走ったけど、こんなところに旧道があるなんて露知らず。今度走る時はきっと横目で探してしまうだろうな。安全運転しなきゃ。
深夜1時過ぎに摺針峠に到着。昼間なら琵琶湖の絶景が見えるはずだが、夜なので町の灯りに型どられたシルエットしか見れない。ちょっと残念。醒井宿と合わせ昼間に訪れたい。昔の旅人は長い坂道を登り詰めてきっと感嘆の声を上げたことだろうな。ここではカレーうどんをご馳走になる。
末房さんの全力サポートはほんと強力。ランナーの気持ちや身体のことが分かってるからこそのホスピタリティだと思う。
彦根を過ぎた辺りで仮眠を終えた“ウサギ”チームと合流。まぁここまでは(予想外に)互角だったけど、仮眠してリカバリーしたランナーと競ったってしょうがない。カメはカメらしく最後まで行くのみ。
そしてまた夜明けが近づく。
明けない夜は無いのだ。
遥か遠くに伊吹山。
そして陽が昇る。
朝陽はエネルギーに満ちている。
そのエネルギーをいただいてさらに前へ進むのだ。
朝の8時前に最終チェックポイントCP7の武佐宿へ到着。残すところ50kmだ。
時間は12時間あるから早歩きでもゴールできそう。京都三条が見えてきた。
走る元気がないわけじゃないけど、100kmほど一緒にいた阿部さんは流石に走れないようで完走が微妙。だからと言って別れて先へ進めば阿部さんは道が分からず結局完走できない。実は歩くスピードがかなり速い。歩きだと自分もついていけないくらい速い。速歩きはジャーニーランの強力な武器だと思う。それにバテてない。完走の可能性はある。後は阿部さんの身体の状態と気持ち次第。行くなら付き合うつもり。しかし、大腿辺りに痛みを感じるのでここで止めるという。止めるというのを無理に連れて行くわけにはいかない。残念だけど阿部さんとここで別れる。
ここからは再び藤原さんと2人で旧中山道を進む。
陽が昇るととにかく暑い。暑さはランナーの強敵。これまで何度も暑さにやられた。おまけに睡眠不足ときた。それに平野部は緑が少ないので余計に疲れる。なんだかんだあったけど濃尾平野に出る前は気持ち良かったと気づく。今はこの苦しみを耐え何としても三条大橋に辿り着くことをモチベーションにするしかない。
そんな時に何やら見たこともないドリンクが自動販売機にある。“ジャングルマン”、“カフェイン、炭酸強め”
なんとも刺激的。これ飲んで気合いを入れよう。実際飲んでみると心身復活してかなりいいペースで走れた。
しかしこの手のドリンクは持続性に問題がある。薬が切れると再びモチベーションが下がってしまう。いわゆるドーピングだ。
案の定、途中でへばる。
そんな折、道沿いの公園のトイレに入ったところなんとも涼しげな緑の森が目に入る。足裏とか指の付け根とかだんだん痛くなるし。先を急ぐ気持ちもあるけど途中で倒れたら元も子もない。ということでちょっと休むことにする。
やっぱ緑はええなぁ。
だからと言ってたいつまでもここにいるわけにはいかない。奮起してまた走り出す。
そしてやっとこさ草津へ到着。
ここからは旧東海道を走る。
摺針峠を降りてからずっと下り基調だけど単調な平野部を走ってきてようやく琵琶湖の南端の瀬田宿に着く。14時半。一番暑い時間帯。
もう一山越えたら京都だ。
瀬田から大津へ向かう途中、あちこちで祭りをやってる。暑い中、神輿を担いだり大変だろうなぁなんて思ったりする。そんな人のことより自分もかなり大変な状態。寝不足と暑さで頭が朦朧としてきた。
追い討ちをかけるように大津へ向かって真っ直ぐな坂道。頭がクラクラする。走っては止まり、止まっては走る。
大津から京都への山越えの登りでとうとう脚が止まる。一瞬立ったまま寝る。
そんな時、これまでずっとフォロワーだった藤原さんが先頭を走ってリードしてくれる。この時、ほんと独りじゃなくて良かったと思う。山を越え下りに入るとまた少し復活して走り始める。
京都市に入った。
先頭を走る藤原さんが頼もしい。
蹴上を過ぎ京都盆地に入る。
まだ明るい。
完走は確実だが、どうせなら明るい間に京都三条大橋を渡りたい。
最後の踏ん張りどころだ。
ついに京都三条大橋へ!
そしてゴール。
第4ステージ完走!
旅の仲間との再会。
みんな頑張った。
壮大な中山道の旅路。
グレートジャーニー。
苦しかったけど楽しかった。
たくさんの学びがあった。
限界を超えると新たな限界が見つかる。
だけどNo limits!
諦めない!
GRIT !
走ることだけじゃなくて
人生はNo limits !
(書き終えて)
これまでもウルトラトレランとか旅ランのブログを書いてきたけど、これだけ長大な旅路を書くのは初めて。書いても書いても終わらない。まるで中山道をもう一回走ってるんじゃないかと錯覚するくらいだった。
でもこうして書き終えてみると、意外と覚えてるなというのが新たな発見。もちろん記憶には限界があるので全てを書き記すことはできない。だけどここは覚えておきたいと思って写真に撮った場所は何某かの想いがあったからで、その時の記憶は画像と共に記憶の引き出しから飛び出してくる。
これも一つの学び。
終わり!
【総括】
〈第1ステージ 〉(182km-33hr)
時間切れにより150kmで離脱。
〈第2ステージ〉(148km-34hr)
105km地点で足首の痛みが酷くなってきたので離脱。
〈第3ステージ〉(60km-12時間)
約11時間半で完走。
〈第4ステージ〉(148km-36hr)
約34時間で完走。
総走行距離:463km