チャレンジ富士五湖118K奮闘記
4月24日にチャレンジ富士五湖118K完走しました。ロードのウルトラは2年前の野辺山100K以来。その野辺山は制限時間24分オーバーでDNF(フィニッシュゲートは通過できたけど・・・)。実はトレランでは100kmオーバーを完走してるけどロードは完走したことがない。その点で今回は新たなチャレンジだ。硬い路面を走るロードのウルトラマラソンは、同じ距離のトレイルランよりも制限時間が短く、別の厳しさがある。いつだって何が起こるかわからないウルトラの世界。走るのに自信なんて要らない。必要なのはゴールを目指して前へ進み続ける強い意志だけだ。
レースは富士山北麓公園を4時にスタート。前泊には中途半端な時間なので自宅で仮眠してマイカーで深夜に出発した。渋滞もなく順調に進むが途中から雨が降り出す。前の週のかすみがうらマラソンでかなり強い風雨を経験済みなので心構えはできているが、景色のことを思うと晴れて欲しい。
無事に公園駐車場に到着。開門と同時に荷物預け場所へ向かう。第26回という歴史のあるレースだけに運営はしっかりしている。着替えを済ませ、ドロップバックを預けてスタートゲートへ。幸い雨は止んだ。
まずは同じレースをワラーチで走る弁慶さんこと大西さんを探す。千人弱のランナーの中を探すのは普通なら難しいのだけど、背が高くて弁慶の格好してるのであっという間に見つかる。道中の無事を祈る。
午前4時スタート。長い長い旅の始まりだ。暗闇の中、山中湖を目指す。走り出しから脚がやや重い。やはり1週間前のかすみがうらフルマラソンの疲労は完全には抜けてないのだろうか。日の出が近づくにつれ薄明るくなってくる。山中湖に着く頃にはすっかり日が昇ってたのだが、曇り空で朝陽はささず。お天気はイマイチだけど、遅咲きの桜の彩が気持ちを明るくしてくれる。
富士山は裾野が少し見えるだけで全容は拝めず。それでも湖面に映る富士山の大きな山裾に見惚れながら気持ち良く走ります。(6:30頃)
山中湖を後に再び北麓公園の方へ戻り返して河口湖へ。湖と湖の間が山越えなのでアップダウンがかなりあります。トレランに比べれば斜度は大したことないのでペースを落としながらも歩かず走ります。
モノクロームな湖を眺めながら湖畔の道を進みます。
いつもの如く、ワラーチ履いてると、たくさんの人が声を掛けてくれるので単調なロードでも多少は気が紛れます。
少し登り始めたところで第3関門(足和田救護所:56.4km)に到着。(10:00頃)
関門閉鎖時刻まで1時間くらい。まずまずのペースだ。
ドロップバックを受け取り、Tシャツを着替え、ジェルフラスコを差し替える。フルでもウルトラでもいつも脚が攣るのが悩みの種。今回は攣り対策として、必ず5km毎にジェル(糖質)と塩熱サプリ(塩分)を補給することにした。これまでのところ脚攣り無し。
西湖に向けて急坂を登る。傾斜が緩みトンネルを抜けると間も無く西湖に到着。
精進湖へ向かう途中、満開の桜に心が和む。
そして精進湖に到着。他の湖に比べると小さくて池みたいだ。
唯一 精進湖畔を走ってる時だけ青空が見えた。青空に紅色が映えるこの木はなんていうのだろう。
そしてついに五湖最奥の湖、本栖湖へ。
第4関門(本栖湖県営駐車場:75km)到着。(12:50頃)
関門閉鎖時刻まで40分くらい。
ここで2個目のドロップバックを受け取る。かなり寒いので長袖シャツに着替えて出発。残すところフルマラソン一本分だ。風が吹いて寒い。残念ながらガスって湖は何も見えない。
気持ちのいい林間を走る。
それにしても脚が重くペースが上がらない。果たして完走できるのだろうか。2.5km毎の距離標識がものすごく長く感じる。旅ランは終わりだ。写真撮影もせず、ただひたすら走る。キロ7分台のペースを維持したいが、エイドで立ち止まると次に動き出した時に脚が固まってしまい、しばらく走れなくてロスが大きい。なのでエイドは滞在時間を極力短くするかパスする。往路に立ち寄った西湖野鳥の森のエイドで吉田うどんをもう一度食べたかったが諦めて通過。
第6関門(西湖公民館:98.9km)通過。16:05頃。関門閉鎖時刻まで20分。あと20kmだ。この頃から時々、足指が攣り始める。今回は糖質、塩分、水分の補給をきっちりやったせいか、太腿、脹脛、脛は攣っていない。しかし足指が攣ってもやはり走れない。立ち止まって少しおさまったら走り出す。そんなことを何度か繰り返しながら、とにかく走ることだけの集中する。エイドの看板に”おかゆ”の文字を見つける。むっちゃ食べたい・・・でも我慢して通過。もう止まるわけにはいかない。
第7関門(河口湖ステラシアター:113.1km)通過。18:10頃。
関門閉鎖時刻までたったの5分。ぎりぎりセーフ。残すところ5km。フィニッシュ制限時刻の19時まで50分。
平地ならなんとかなりそうだが、走りながら聞いたランナーの会話では、3kmが登りで、2kmが下りだそうだ。痛む脚で坂を走って登る。歩いている人との距離が縮まらない。全然走れてないやんか。しょうがないので歩く。完走は無理かなと何度も心が折れそうになる。もう時計は見ない。最後までベストを尽くだけだ。そうこうしている間に長い長い3kmが過ぎ、下りに転ずる。こんな脚で走れるのか? おぉ、走れるぞぉ~! 後でログを見たら8分/km弱なので決して速くはなかったはずだが、その時は5分/kmくらいで疾走しているような感覚だった。
フィニッシュゲートのある競技場の灯りが見え、アナウンスの声が聞こえてくる。
両サイドの人がどんどん増え、拍手と声援に心が躍る。
フィニッシュゲートが見えた!
間に合ったぞぉ〜!
万歳をしながらゴールテープを切った!
記録14時間57分10秒。制限時間まで2分50秒。
あのエイドで、吉田うどんを食べてたら・・・
あのエイドで、おかゆを食べてたら・・・
最後の2kmが下り坂でなかったら・・・
運が良かっとたしか思えない。
だけど諦めないで前へ進んだからこそ運を引き寄せたのだろうと思う。
だから最後まで諦めなかった自分を褒めてあげよう!
完走後、前脛下部に酷い痛みを感じる。それが段々酷くなるので翌日整形外科で診てもらった。シンスプリント(脛骨過労性骨膜炎)というやつらしい。ワラーチ履いてから故障とは無縁だったのでショックだ。1か月前と1週間前にフルマラソンを走ったのでやはりオーバーユースだったのだろう。せっかく完走しても故障しては元も子もない。 この点については大いに反省。
シンスプリントの痛みがかなり和らぎ、気持ち的にも落ち着いたところで思うのは、やっぱり長い距離を走ることは”旅”を楽しむようなものでありたいということだ。関門時間に追われていては”旅”を楽しむことはできない。根本的には、そのレースを余裕を持って走るための走力が足りていないということなのだから、もっと走力を高めることが必要だろう。他方、レースでなくても自分で旅ランを企画して走ったっていいのだ。
あくまで楽しむために必要な身の丈にあった走力を少しづつ磨きながら、もっと長く、そして永く走り続けたい。