中山道 "風の旅”(第3ステージ、第4ステージ)
(第1ステージ、第2ステージから続く)
【第3ステージ】馬籠宿ー太田宿
60km-12hr(5/3 8:00スタート)
昨夜からの雨は明け方まで酷く降っていたがスタートする頃にはちょうど止んだ。幸先が良い。しっとりと濡れた路面は質感が増してとても美しい。
視界が開け中津川宿が見えた。
坂をくだり中津川宿に入る。
中津川中山道歴史資料館の前の特設エイドに立ち寄り、名物のお菓子やフルーツ、飲み物をいただく。
実は昨夜、ここのスタッフの方が馬籠の宿へご足労いただいて中津川宿の魅力を一生懸命説明してくれたのだ。そして今日はこんな温かいおもてなし。感謝感激。
宿場の出入口はこんな風に道が折れ曲ってる。これを「枡形」(ますがた)と呼ぶ。外敵に一気に攻め込まれないようわざと道を曲げたのだそうだ。戦さの時には宿場は要塞でもあったのだ。
中津川宿を通り抜け再び宿場を見下ろす。昔の人もここでこうして振り返っただろうな。
しばらく田園地帯を走ると石畳の道が現れる。難所十三峠の入口だ。
ここから大鍬宿まで14kmほどの間に十三の峠があるという。これも枡形と同じで、敵に一気に攻め込まれないよう軍事的な意図でここを道にしたそうだ。一つ一つの高低差はさほど大きくはないが、何度も何度も峠を越えるのは旅人にとってはひと苦労だったろう。
だからこそ近代化の波から取り残され、こうして今、こんなにも素晴らしい旧道を満喫できるのだから有難いことである。
旧道があまりに素晴らしいので、さほどキツさも感じることなく十三峠を越え大鍬宿へ入る。
地元感溢れるカフェ?のオープンテラス?で、田舎コーヒー(100円也)をいただく。
実はインスタントなんだけど、ジャーニーラン中にちゃんとしたカップ&ソーサーで飲むなんてのは贅沢なことのように思える。
しばらく行くと再び石畳が現れる。琵琶峠だ。
石畳は凹凸があり快適というわけではないが、趣きがあって良い。
山間を抜け車道を走る。
太田宿の手前で陽が沈む。
だけど今日は夜通し走らなくていい。
宿に入って、夕飯食べて、風呂入って、布団で寝れるんだ。日常なら当たり前のことがやけに嬉しい。
宿に到着。たったの60km?だったけど、初めてステージ完走できたことが嬉しい。残すは最終ステージのみ。
到着後すぐに夕飯を食べ、風呂のシャワーで念入りにアイシングして眠りにつく。
またしても全く夢を見ない深い眠りから覚める。走ってるか、寝てるか、食べてるか・・・頭より身体主体のシンプルライフだから、睡眠は身体を休めるための時間であって完全に思考が停止してるのだろう。真逆の日常生活では何某かの執着で疲労した頭をリカバリーするために支離滅裂な夢を見るんじゃないかと思う。いかに日常生活が頭に翻弄されているかが分かったような気がする。
【第4ステージ】太田宿ー京都三条大橋
148km-36hr(5/3 8:00スタート)
快晴で爽やかな朝。宿を出てスタート地点へ移動し8時に走り出す。京都三条大橋まで148kmの長旅の始まりだ。
ほどなく大きな川の土手に出る。木曽川だ。昔も今も変わらず悠々と流れ続けている。
途中、川土手を離れて切り立った斜面に入り崖っぷちをトラバースする。昔はこんな柵なんかなくて危ない場所だったと思う。短い距離だけどこうして旧道の断片が保存されているのは嬉しい。
木曽川を離れ少し山へ入ると、うとう峠の入口がある。
朝の木漏れ日、鳥の鳴き声、沢のせせらぎ。やっぱりトレイルは癒される。
うとう峠を越えると鵜沼宿。ここも電信柱が無く、町の保存に一生懸命なのが伝わってくる。
鵜沼から各務原へ向かう途中、国道から少し離れた高山本線沿いに寄り道する。
なんと路面にこんな文字が。
末房さんの粋な計らい。
色々あったけど400kmまで辿り着いたんだ。ここまでずっと藤原さんと2人で走って来たんだけど、ひょんなことから阿部さんというご年配の女性が加わり三人に。たしか太田宿から先頭集団についていってたはず。ご年配なのに凄いなぁと思ってた。やっぱりついていくのはしんどかったみたい。年齢を尋ねるとなんと古稀(70歳)! しかし走り始めるとちゃんと並走してる。凄い。走力は問題ないとして、どうやら道が不安とのこと。たしかに用意されてた地図は第1回ということで不十分なところがある。中山道は案内標識が整備されている方だと思うが、どこか一箇所でも不案内だとロストする。いくら現在位置が分かっても旧道がわからないと前へ進めない。自分は甲州街道“鳥の旅”の経験で事前に地図アプリに旧道を記録してるので、たとえどこかでロストしても復帰できる。この差は大きい。つまり、阿部さんは僕らについてこなければ前へ進めないということだ。これも何かのご縁。それなりに走力もあるわけだしこりゃ道中ご一緒するしかない。まさに珍道中の始まりだ。
こんな路地が旧道だったりする。
阿部さんと記念撮影。
旧道を残してくれてありがとう。
岐阜の中心部を過ぎた辺りでウッチーさんの私設エイドへ。冷たいそうめんをたっぷりいただいて大満足。さらに末房さん特製の肉野菜炒め。
私設エイドを出てすぐ大きな川を渡る。長良川だ。
ここでも記念撮影。
藤原さんは結構マメで時折こうして写真を撮ってくれる。だいたいいつも独りで走ってることが多いので、たくさん写真は撮るけど自分は写ってない。とても有り難いなと思う。
川を渡った対岸が文字通り河渡宿だ。こじんまりとして静かな宿場だがさりげなく昔の面影を残している。
関ヶ原の手前で日没が迫る。
ナイトランに備え腹ごしらえしておきたいのだが旧道沿いは驚くほどにコンビニがない。ようやく見つけたコンビニは砂漠のオアシスだ。
ガッツリ食べて出陣。いざ関ヶ原へ。
夕暮れの空に伊吹山が見えた。あの山の向こうは琵琶湖だ。
真っ暗な旧道の先に灯りが見える。関ヶ原の手前、垂井宿の祭りだ。立ち並ぶ出店を眺めながらが歩く。ナイトラン中のささやかな癒しの時間だ。
緩やかな坂道を延々と登り関ヶ原へ到着。ちょうどその時、末房さんから連絡が入りその先の柏原駅で待ってるという。柏原駅に着くとなんと出来立てオムライスが待ってた。コンビニ飯より断然旨い。美味しいものを食べると活力が湧いてくる。次は数キロ先の醒井宿で待ってるという。どうやら先行の“ウサギ”グループはネットカフェで仮眠に入るということで、我々“カメ”グループをフルサポートしてくれるらしい。深夜の辛い時間帯の手厚いサポートは本当にありがたい。
深夜0時に醒井宿到着。さっき食べたばかりでそんなに飲み食いするわけじゃないけど、こうして待ってくれて言葉を交わすこと自体が前へ進む活力になる。
醒井宿は名水の里として有名だったそうで水量豊富な立派な水路が印象的。いつか昼間に訪れたい。
ここから数キロ先の摺針峠を越えるとその後は琵琶湖に沿って下り基調が南端の瀬田まで続く。次はその摺針峠で待ってると言う。もう一踏ん張り頑張ろう。
峠に向かう途中、名神高速道路のすぐ横を通る。
大阪の実家へ帰省する時に何度もここを走ったけど、こんなところに旧道があるなんて露知らず。今度走る時はきっと横目で探してしまうだろうな。安全運転しなきゃ。
深夜1時過ぎに摺針峠に到着。昼間なら琵琶湖の絶景が見えるはずだが、夜なので町の灯りに型どられたシルエットしか見れない。ちょっと残念。醒井宿と合わせ昼間に訪れたい。昔の旅人は長い坂道を登り詰めてきっと感嘆の声を上げたことだろうな。ここではカレーうどんをご馳走になる。
末房さんの全力サポートはほんと強力。ランナーの気持ちや身体のことが分かってるからこそのホスピタリティだと思う。
彦根を過ぎた辺りで仮眠を終えた“ウサギ”チームと合流。まぁここまでは(予想外に)互角だったけど、仮眠してリカバリーしたランナーと競ったってしょうがない。カメはカメらしく最後まで行くのみ。
そしてまた夜明けが近づく。
明けない夜は無いのだ。
遥か遠くに伊吹山。
そして陽が昇る。
朝陽はエネルギーに満ちている。
そのエネルギーをいただいてさらに前へ進むのだ。
朝の8時前に最終チェックポイントCP7の武佐宿へ到着。残すところ50kmだ。
時間は12時間あるから早歩きでもゴールできそう。京都三条が見えてきた。
走る元気がないわけじゃないけど、100kmほど一緒にいた阿部さんは流石に走れないようで完走が微妙。だからと言って別れて先へ進めば阿部さんは道が分からず結局完走できない。実は歩くスピードがかなり速い。歩きだと自分もついていけないくらい速い。速歩きはジャーニーランの強力な武器だと思う。それにバテてない。完走の可能性はある。後は阿部さんの身体の状態と気持ち次第。行くなら付き合うつもり。しかし、大腿辺りに痛みを感じるのでここで止めるという。止めるというのを無理に連れて行くわけにはいかない。残念だけど阿部さんとここで別れる。
ここからは再び藤原さんと2人で旧中山道を進む。
陽が昇るととにかく暑い。暑さはランナーの強敵。これまで何度も暑さにやられた。おまけに睡眠不足ときた。それに平野部は緑が少ないので余計に疲れる。なんだかんだあったけど濃尾平野に出る前は気持ち良かったと気づく。今はこの苦しみを耐え何としても三条大橋に辿り着くことをモチベーションにするしかない。
そんな時に何やら見たこともないドリンクが自動販売機にある。“ジャングルマン”、“カフェイン、炭酸強め”
なんとも刺激的。これ飲んで気合いを入れよう。実際飲んでみると心身復活してかなりいいペースで走れた。
しかしこの手のドリンクは持続性に問題がある。薬が切れると再びモチベーションが下がってしまう。いわゆるドーピングだ。
案の定、途中でへばる。
そんな折、道沿いの公園のトイレに入ったところなんとも涼しげな緑の森が目に入る。足裏とか指の付け根とかだんだん痛くなるし。先を急ぐ気持ちもあるけど途中で倒れたら元も子もない。ということでちょっと休むことにする。
やっぱ緑はええなぁ。
だからと言ってたいつまでもここにいるわけにはいかない。奮起してまた走り出す。
そしてやっとこさ草津へ到着。
ここからは旧東海道を走る。
摺針峠を降りてからずっと下り基調だけど単調な平野部を走ってきてようやく琵琶湖の南端の瀬田宿に着く。14時半。一番暑い時間帯。
もう一山越えたら京都だ。
瀬田から大津へ向かう途中、あちこちで祭りをやってる。暑い中、神輿を担いだり大変だろうなぁなんて思ったりする。そんな人のことより自分もかなり大変な状態。寝不足と暑さで頭が朦朧としてきた。
追い討ちをかけるように大津へ向かって真っ直ぐな坂道。頭がクラクラする。走っては止まり、止まっては走る。
大津から京都への山越えの登りでとうとう脚が止まる。一瞬立ったまま寝る。
そんな時、これまでずっとフォロワーだった藤原さんが先頭を走ってリードしてくれる。この時、ほんと独りじゃなくて良かったと思う。山を越え下りに入るとまた少し復活して走り始める。
京都市に入った。
先頭を走る藤原さんが頼もしい。
蹴上を過ぎ京都盆地に入る。
まだ明るい。
完走は確実だが、どうせなら明るい間に京都三条大橋を渡りたい。
最後の踏ん張りどころだ。
ついに京都三条大橋へ!
そしてゴール。
第4ステージ完走!
旅の仲間との再会。
みんな頑張った。
壮大な中山道の旅路。
グレートジャーニー。
苦しかったけど楽しかった。
たくさんの学びがあった。
限界を超えると新たな限界が見つかる。
だけどNo limits!
諦めない!
GRIT !
走ることだけじゃなくて
人生はNo limits !
(書き終えて)
これまでもウルトラトレランとか旅ランのブログを書いてきたけど、これだけ長大な旅路を書くのは初めて。書いても書いても終わらない。まるで中山道をもう一回走ってるんじゃないかと錯覚するくらいだった。
でもこうして書き終えてみると、意外と覚えてるなというのが新たな発見。もちろん記憶には限界があるので全てを書き記すことはできない。だけどここは覚えておきたいと思って写真に撮った場所は何某かの想いがあったからで、その時の記憶は画像と共に記憶の引き出しから飛び出してくる。
これも一つの学び。
終わり!
【総括】
〈第1ステージ 〉(182km-33hr)
時間切れにより150kmで離脱。
〈第2ステージ〉(148km-34hr)
105km地点で足首の痛みが酷くなってきたので離脱。
〈第3ステージ〉(60km-12時間)
約11時間半で完走。
〈第4ステージ〉(148km-36hr)
約34時間で完走。
総走行距離:463km
中山道 “風の旅” (第1ステージ、第2ステージ)
一昨年は今回の“風の旅”主催の末房さんの甲州街道“鳥の旅”(下諏訪→日本橋:215km)に参加して、経験不足から足を痛めて180km地点の八王子リタイア。
昨年、再び“鳥の旅”に参加して完走。リベンジを果たす。
限界を超えてそこへ行けば新たな限界に挑戦したくなるというのは人間の本性だろう。
215kmを超える距離を走れるのだろうか?
知る人ぞ知るジャーニーランというのは結構あって今だに全貌は分からないけど、有名な“川の道”という千葉から新潟まで500km以上を走るジャーニーランがある。じゃぁ次はそれかなと思いつつ、今回と同じでGWをほとんど潰して走るってのは家族の理解がないとできない。こういうのはタイミングというのがあって、今だと感じたら先延ばししない方がいい。思い切って嫁さんに相談したらオッケーが出た。しかし500km超えともなると誰でも申し込めるわけじゃない。幸い“鳥の旅”完走の実績があり参加資格を満たすということで“川の旅”に申し込む。ところがここでどんでん返し。人気の企画だけに優先枠とかあって一般枠は優先枠の残りしかない。それでも当選する可能性はある。結果は落選。なぜかというと優先枠で定員に達してしまって一般枠が無かったのだ。なんか肩透かしを食らったみたい。
そんな時に末房さんの第2段、中山道“風の旅”(日本橋→京都三条大橋:538km)が遡上に上がる。GWを潰すという点ではハードルはクリアしてる。ならばエントリーするしかないやろ。こっちは抽選なんか無いし、旧街道大好き人間としては、中山道は超魅力。結果オーライだ。
“川の道”と“鳥の旅”の違いは前者が1ステージであるのに対し、後者は4ステージに分かれてるという点だ。3泊7日の旅。経験無いしわけわからんなぁ。最大の興味は100km以上走った身体で一晩寝て起きてからまた走れるのか?ということ。だいたいウルトラ走った翌日は脚がボロボロで走るなんて有り得ない。これはマズい。対策が必要だ。まずはネットで“ステージレース”で検索するとリカバリーのノウハウが色々と見つかった。走った後の筋膜リリースが有効らしい。早速グリグリ棒を買う。
こうして初日の4月29日を迎える。
【第1ステージ】日本橋ー望月宿 182km-33hr
(4/29 9:00スタート)
いよいよ旅の始まりだ。
まずは皆んなでお約束の記念撮影。
ジャーニーランのスタートはマラソンやトレランと違ってスタートしたのかしてないのかわからないくらい緩い。「しょうがない、ぼちぼち走るか」ってノリだ。都内なんて信号ばっかりで速く走ろうが遅く走ろうが関係ない。
神田、湯島を過ぎると、東大赤門が右手に見えた。恥ずかしながら初めて見た。
その後、巣鴨商店街へ入る。
ここも初めて通ったのだけど昭和生まれにはとても懐かしい雰囲気。しばらく走ってると女性ランナーが「ここのおはぎが美味しい。」というので最初のブレイク。
おはぎをいただく。これから中山道を踏破しようという緊張感は皆無。冷んやりとしたおはぎは噂通りとても美味しかった。
商店街を過ぎ、清水坂を下った辺りで1人の外国人と出会う。
聞けば3週間掛けて京都から中山道を歩いてやっとここまで来たらしい。我らと同じ旅人ではないか。その出で立ちが日本人より日本人らしくてびっくり。下半身は真っ白な足袋に半股引。上半身も白いシャツに和風柄。僕らはこれから1週間で京都まで行くと話したら「You are crazy !」と言われた。あんたもかなりcrazyだと返した。
蕨宿はお祭りなのか屋台が並んでる。
人が多いので走らずのんびり歩く。
デコポン(?)3個1000円をサービスで6個で1000円で買い皆んなで分ける。得した気分だがこれが屋台の売り方ってもんだろう。美味しかったのでwin- winだ。
蕨宿で草鞋とワラーチの記念撮影。
ワラーチは現代版草鞋(わらじ)なのだ。
大宮の氷川神社の長い参道に入る。緑のトンネルは涼しくて気持ちがいい。
参道にある団子屋へ立ち寄る。
冷やし甘酒をいただく。無糖の自然な甘さでとても美味しい。しかし、こんなに道草食ってていいんだろうか?
最初のチェックポイントCP1(29km)は氷川神社。初めて訪れたけど、なかなか立派。
氷川神社を後にして旧中山道を淡々と北上する。新道(国道)より旧道の方が車が少ないとは言え、都会はやっぱり車が多いし、建物も大部分建て替わってるので風情は今ひとつ。
北本宿を通過。
20年ほど前に2年ばかし北本に住んでたので懐かしい。少し垢抜けた感はあるがそんなに変わってない。
鴻巣宿辺りで日が暮れる。
真っ暗闇の荒川の河川敷から遠く熊谷宿の灯りが見える。早くあそこまで行きたいなぁ。
熊谷駅を通り過ぎてしばらく進んだところでサポートエイド発見。椅子に座って温かい食べ物をいただく。夜の10時頃。単調なナイトランの憩いの場だ。本当に有難い。
安中宿に入り日が昇る。
夜の暗闇を走り抜けて迎える朝は格別だ。日常生活では夜寝て起きたら朝だけど、夜通しナイトランの場合は、真っ暗な空が薄明となり朝陽が景色を照らし出すまでの連続的な変化をずっと感じながら朝を迎える。エネルギーに満ちた朝陽を浴びて気分が高揚する。
CP2(119km)の安中駅を過ぎると左手に妙義山系の荒々しい姿が見え始める。
広大な関東平野を突き抜けていよいよ山に入るんだと気を引き締める。
CP3(136km)横川駅到着。
荻野屋の峠の釜飯を食べたいところだけど残念ながらその時間は無い。
坂本宿は中山道の難所、碓氷峠を越える前の最後の宿場ということで大いに栄えたらしい。真っ直ぐ伸びた旧道の正面に「どうだ、越えてみろ!」と言わんばかりにこんもりとした山が聳え立つ。
坂本宿を過ぎるといよいよ碓氷峠だ。
日本橋からずっとロードを走って来たがここで突然トレイルに入る。
木々の緑に包まれる。
深く息を吸って森の匂いを身体に満たすと、夜通し走った身体にエネルギーが戻ってくるようだ。やっぱり人間には緑が必要なんだなと思う。これまでずっと走ってきた平野部の旧道にはあまりにも緑が少ない。
どんどん山道を登っていくと、木々と間に遠い街並みが見通せる場所にでる。
ここが「のぞき」と呼ばれる場所だ。遠くに見える街並みはさっき走り抜けた坂本宿。こうやって遠目にみれば昔と今も変わらぬ景色なんじゃないかなぁ。
長いけど気持ちのいいトレイルが続く。難所碓氷峠を越え山を下ると別荘地に入り、そこを抜けると沢山の人で賑わう通りに出た。なんか見覚えがある。
軽井沢だ!
ずっと山の中だったので別世界に来たよう。人が多くて走れないので歩く。とにかく温かい珈琲が飲みたい。テイクアウトの店を見つけた。ついでにソフトクリームも。
美味しい。
一息ついたところで距離と時間を確認。150km地点なので残り32kmだ。時刻は14時。18時の制限時間まで4時間。平均ペースで7.5km/分。休まず走り続ければ間に合うが、そのペースで走り続けるのは今の身体の状態では無理だ。到着が遅れると宿の夕飯に間に合わないかもしれない。ここで走るのを止めたとしても、望月宿へ移動するには本数の少ない電車とバスを乗り継ぐ必要がある。タイミングを逃すと公共交通機関を使っても18時を過ぎる可能性もある。今日が最終ステージなら迷わず先へ進むだろう。初めてのステージレースで身体がリカバリーするのかどうかも未知数だ。ここで無理をして次のステージが走れなくなっては元も子もない。スタートからずっと共走してきた藤原さんと相談して、残念ながら第1ステージはここで中断することにした。
その後、軽井沢から電車で佐久平へ。佐久平からバスでゴール地点でもある望月バスターミナルへ移動して第1ステージが終わる。
宿に着いてすぐ風呂に入る。とにかく次のステージのために身体をリカバリーすることが最優先事項だ。シャワーの冷水でアイシング。温水に切り替えて温めてからまたアイシング。これを何度も繰り返す。風呂から上がったらグリグリ棒で念入りにマッサージをする。夕飯をがっつりと食べたっぷりと栄養補給。そして眠りにつく。
夢を全く見ないほどに深い眠りだった。
朝起きて身体のチェック。
痛みはあるけど走れるレベルにはリカバリーしてる。最大の不安を払拭してモチベーションが上がる。
念には念を入れて朝風呂のシャワーでアイシング。食欲も旺盛で朝食もがっつりといただく。宿をチェックアウトして車でスタート地点のバスターミナルへ向かう。
【第2ステージ】望月宿ー馬籠宿
148km-34hr (5/1 8:00スタート)
大好きな里山風景を見ながら進むと一変して古い家が立ち並ぶ静かな通りに入った。
望月宿だ。道の両側の水路を流れる水音が心地良い。現代の生活では、水は蛇口から出てくるものだけど、昔は山から流れてくる水をこうして生活の中に取り入れていたのだろう。
綺麗な水と言えば酒だ。
酒好きなランナーが酒蔵を見つけて、吸い込まれるように中へ入って行くのでついて行く。
陳列棚にたくさんのお酒が並んでる。みんな食い入るように見惚れてる。
お酒の弱い僕でも美味しそうで飲みたくなるくらいだから、お酒好きなランナーは迷わず購入。瓶はさすがに重いので缶入り。
お土産用かと思いきやもう呑んでる。まぁ飲酒運転禁止の規程は無いのだから・・・このゆるゆるなところが旅ランの良さ。
笠取峠へ向かう手前に、松並木を走る。
笠取峠の由来は、風が強く編笠がとばされるとか、暑くて編笠を脱いだとか諸説あるそうで、この松も強風や暑さを凌ぐために植えられたとか。
笠取峠を越え、難所和田峠へ向かって長閑な田園地帯を進む。
ふと見ると古民家風のバス停。なかなか立派。雨宿りにも良さげ。
備え付けのコップでガブガブと飲み、ボトルに補給。旅人にはほんとありがたい。
そして和田峠の入口に到着。
いい雰囲気のトレイルだ。
しかし熊が出るらしい。そんな気配は感じられないけど、近頃は山の木の実が少なくなって熊の行動範囲が広がり人間との遭遇率が高まってるとか。一応用心しするとしよう。視界良好なので熊鈴は鳴らさないでおく。沢のせせらぎや鳥の声を静かに聴きたいから。
峠へ向かって緩やかな登りが続く。難所とは言え、本格的な山登りに比べればなんてことはない。
疲れを感じさせないほどに気持ちのいいトレイルが続く。
あまりに気持ちの良いトレイルなのでワラーチを脱いでしばらくの間、裸足で歩いてみる。
見た目ほどには快適じゃなくて足裏がチクチクする。長距離走ってやや過敏になってるせいかもしれない。少々刺激が強過ぎるので再びワラーチを履く。
石畳もある。情緒に溢れてとても良いのだが歩きやすいわけではない。きっと雨が降っても泥濘まないように石を敷いたんだろう。
峠近くに立派な一里塚がある。江戸から52番目だそうだ。このアナログ感がいい。こんな一里塚をこの後も何度も見るのだが、旧道の証としてこれからもずっと保存して欲しいと願う。
そうこうしてるうちに和田峠へ到着した。広場みたいで想像していた峠のイメージとはちょっと違う。朝から動きっぱなしだったので腰を下ろして腹ごしらえ。昔は峠近くに茶屋が何軒かあって旅人で賑わっていたらしい。今の峠は、車道を車が通り過ぎるだけの寂しい場所になってしまった。
諏訪側の下りは、道幅が狭くやや急峻だ。
谷へ落ち込む急斜面をトラバースする箇所なんか、昔は馬が滑落することもあったんだろうな。覗き込んでると身震いがした。
峠を降りると諏訪宿だ。
最初に目に入ったのが「天下の木落し坂」の大きな石板。
最初ピンとこなかったけど、案内のオジさんがいて説明してもらってやっと気付いた。よくテレビで放映されてるあの祭り。屈強な男達が大木(御柱)に乗っかって急斜面を転げるように落ちていく正にその坂のことだ。ここはその坂の頂上にあたる。
模擬御柱という半分の長さ(10m)の御柱も置いてある。樅の木だそうだ。
坂は呼び名通り“下る”と言うより“落ちる”と言うのが相応しいほどに急峻だが写真では表現できず。
さらに下るとパッと視界が開け、下諏訪の街とその向こうにある諏訪湖を一望。
とうとう下諏訪まで来たんだ。下諏訪というと甲州街道との分岐点である。一昨年、昨年と参加した同じ末房さん企画の“鳥の旅”の出発地点でもあり、来たと同時に帰ってきたような不思議な気持ちだ。
思えば望月宿から諏訪宿まで旧道沿いにはコンビニが一軒も無かった。(旧道から少し外れた新道に一軒あったがパス)
行動食のみでまともに食べていない。これから夜通し走るのにしっかりと腹ごしらえしておかねばと飯屋を探すがなかなか見つからない。ようやくラーメン屋を見つけて入る。
こってりとした味噌ラーメンにミニチャーシュー丼を腹にぶち込んでいざ出陣。時刻は18時を過ぎ、陽が暮れてようとしていた。
塩尻峠へと続く暗い旧道を登り始める頃にはすっかり陽が落ちる。
振り返ると街の灯りと諏訪湖の影。
漆黒の旧道に吸い込まれるようにして諏訪湖を後にした。
夜は景色を見えないので写真もほとんど撮ることもなく黙々と走る。いくつかの宿場を通り過ぎ、深夜1時半頃に江戸時代にタイムスリップしたかのような情緒のある宿場に入る。
奈良井宿だ。
観光客などいるわけもなく、住民が寝静まったこの時間に、並走してきたランナー3人ぽっちで左右を物珍しそうに眺めながら静かにそぞろ歩く。漆器のお見せがずらりと並んでる。ここは昼間にまた訪れたいところだが、これはこれで贅沢なひと時だと思う。
入口の石畳が暗闇に消える。
ヘッドライト以外に光は無い。
おまけに熊に注意だ。
熊鈴を鳴らす。熊は夜行性ではないらしいのできっと寝てるだろうけど、音で気を紛らわす。
峠を越えて下り始めたところに熊除けの鐘があったので今更だけどジャンジャン鳴らす。
薄雲に浮かぶ月の光が幻想的だ。
眼下に藪原宿を見下ろす。
鳥のさえずりが段々大きくなる。
薄明に木々が浮かび上がる。
夜明けは近い。
藪原宿に着く頃に朝を迎える。
熊に襲われなくて良かった。
昔の旅人は夜に鳥居峠を越えたりなんかしなかったろうに。ここも昼間にまた訪れたい。
奈良井宿側の川より水量が多くて迫力がある。
宮越宿の本陣を横目に見ながら通り過ぎ、宿場を離れた辺りに「中山道 中間点」の標識があった。
江戸、京都の双方から266kmと書いてある。ずいぶんと長いハーフだ。
旧道と国道を出たり入ったりしながら進むと前方に道路を跨ぐおおきな門。
関所の町、木曽福島だ。
昔の関所はこっち。
通関は厳しかったらしいが今はフリーパス。そして福島宿に入る。
ここもタイムスリップしたかのようだ。
この辺りで、それまでに微妙に感じ始めていた足首の痛みが強くなる。一昨年の鳥の旅のリタイアの原因となった部位だ。嫌な予感。気になりだすと余計に痛みに敏感になる。
CP5(105km)の上松宿へ着く。
ゴールの馬籠まで残り43km。時刻は11時半なので制限時間の18時まで8時間以上ある。普通に走れば間に合いそう。しかし峠越えとある。ここで無理して鳥の旅の二の舞いになったらどうしよう。やっぱり京都まで行きたい。
葛藤の末、第2ステージDNSを決意した。時間切れの第1ステージに続いてのDNSに凹むが、とにかくリカバリーに専念しなくては。アイシングがしたいと呟いたら、日本橋からずっと一緒に走って来た藤原さんが近くのお店でロックアイスを買って来てくれた。ほんと有り難い。藤原さんは行けるところまで行くということで一旦別れる。
主催の末房さんと電話で相談して、この先にある南木曽駅でピックアップしてもらうことにした。電車待ちの間もずっとアイシングを続ける。
その後、電車で南木曽駅へ移動し無事に末房さんと合流。藤原さんもその手前の須原駅でピックアップしゴールの馬籠へ向かう。
途中、車の中から馬籠の町並みを見る。
雨の宿場も風情があって良いが、もし走ってたら辛かったろうな。でもそういう辛さをひっくるめて旅なので、やっぱり自分の脚で走りたかったなと思う。
明日の第3ステージは60km。短距離(?)なので少し気が楽だけど、足首の炎症が悪化しては京都へ辿り着けない。お風呂でシャワーを冷水にしてアイシング。温水にして温めてまた冷水でアイシング。これを何度も繰り返す。思えばこういうケアに対してこれまであまりにも無頓着だった。走った後は脚ボロボロで、翌日は歩くのもやっと。それでも何事も無かったかのように仕事をする。それが男の美学だなんて格好つけてたけど、全然格好良く歩けてないやんか。やっぱり走った後、ちゃんとケアして、「今日もまだ走れるよ」ってのがホンマに格好いいな。
第1ステージ後と同じく、全く夢を見ないほどの深い眠りから覚める。
足首の痛みはかなり引いて走るのは問題無さそう。アイシングはかなり効果があったようだ。たったの60kmだし完走できそう。距離感がインフレを起こして麻痺してる。末房さんの説明によると小さなアップダウンの繰り返しで結構キツいらしい。最終ステージもあるので短いといっても無理は禁物だ。
(第3ステージ、第4ステージへ続く)
OMM2017〜極寒と極楽の2DAYS
昨年に引き続き2回目のOMM参戦。
OMMとは何ぞやについては昨年の初参戦の時にブログに書いた。
昨年のパートナーの新川さんが仕事で無念のDNSとなりパートナー変更という波乱の幕開け。OMMのパートナーは、走力や地図読み力がある程度バランスして、フィジカルにもメンタルにもお互いに補完し合えること、何よりも2日間、四六時中共に過ごして同じテントで寝泊まりしてもストレスを感じないことが必要とされる。なので誰でもいいというわけにはいかないのだ。そんなわけでなかなか決められずにいたが、パートナー変更期限が迫ってきた頃に濱田さんにお願いすることにした。濱田さんは同じ会社のエンジニアだ。気心は知れてるし、走力もある。しかし、地図読みは初心者!
言ってることとやってることちゃうやん、と思うかもしれないけど、総合的に見て濱田さんならイケルると直感したのだ。実は同じ会社で今は隣の席に座ってるけど一緒に仕事をしたことがない(笑)
大会2週間前になって、千葉の低山で土砂降りの雨の中、濱田さんにようやく地図読みのレクチャー。
実際の地形と地形図を見比べてマッチングさせるというのは、エンジニアが実物と設計図を見比べるのと似たようなもの。(自然相手なので実は似て非なるもの・・・)
エンジニアの濱田さんなら基礎的なことはすぐ理解できるはず。あとは場数を踏んで鍛えるしかない。OMM自体が地図読み力を鍛える場でもある。本当に地図読み力が必要なのは、個人で山に入って遭難しないためなんだから、OMMをきっかけに地図読み力を身につけるということでもいいんじゃないかなと思う。実際やってみたところちゃんと読んでる。直感は正しかったことがわかり安心する。
OMMで地図読みと並んで重要なことはパッキングだ。
OMMの必携装備は、以下のURLの下の方に書いてある。
OMM JAPAN 2017_INTRODUCTION | OMM / Original Mountain Marathon オリジナルマウンテンマラソン Japanオフィシャルサイト
レースは2日間。夜はキャンプなのでテントやクッカーなどキャンプ道具が必要だ。同じ2日間でも寝ないで走るウルトラトレイルレースとは趣が異なる。エイドステーションは一切無く、キャンプ場での給水のみ。丸2日分+予備1食の食料を担がないといけない。テント、クッカー、食料など共有装備をうまくシェアして2人の重さがなるべく均等になるように調整する。今回は、地図読み練習の後、カフェで実際の荷物をパッキングして重さを測ってみてどうシェアするかを決めた。2人とも水の食料を入れても10kgは超えないで済みそうだ。
これで準備万端。
【11月10日】(大会前日)
今年はラン仲間の樋田さん、滝澤さんチームと2組で参戦。樋田さんの車に便乗させてもらい現地へ向かう。高速を降りコンビニで明日の朝の食料を補給する。日没の彼方に雄大な南アルプスを一望する。あの端からこの端まで・・・縦走への想いを馳せる。
宿にチェックインしてからOMM受付&前日祭の会場へ向かう。OMMの会場は独特の雰囲気を持つ。ブランディングを大切にしてるのだ。
受付を済ませると、パートナーのどちらか1人の手首には、コントロールに突っ込むと時刻が記録されるSIキーが装着される。レースが終わるまで外すことができないようになっている。お風呂に入る時も付けたままなのだ。オリエンテーラーにはどうってことないのかもしれないが、トレイルランナーには馴染みがなくてちょっと気恥ずかしい。(自分はつけないけど・・・)
SIチップとは、こんなものです。血圧測ってるみたいでなんだか滑稽。
受付テント内の出店をブラブラと眺がめてまわる。さすがOMMだけあってOMMプロダクトの品揃えがすごい。その上、ディスカウントしてるではないか。
前から狙ってたULTRA20Lを背負ってみるとなかなか具合が良い。今持ってるULTRA15Lは数々のウルトラレースを共にしてきたので、ピンホールがあったり擦り切れたりしてだいぶくたびれてきてる。こういうところでは買うことはめったにないんだけど消費税も掛からないし衝動買い。1万円也。まさかの散財(^^;)
夕食は受付に隣接したレストランでとる。広くていい雰囲気。混雑もなく快適だ。
テーブルにレースエリアの地図が貼ってある。もちろんフィニッシュ、ゴール、コントロールは記されていない。OMM的には白地図みたいなもの。
そんな白地図でも、その場所の地形全体を俯瞰できるので貴重な情報だ。食い入るように地図を見て想像を膨らませる。レースはもう始まっている。
宿に戻って装備の最終調整。床もテーブルも子供部屋みたいに散らかして作業。家と違って誰も文句言う人いないしね。
天気予報によると、DAY1の朝方は雨だけどその後快復して晴れ。一夜明けたDAY2の朝方の最低気温は0℃。一頃マイナス9℃の予報もあったので、それほど寒くなさそう。防寒対策のため装備がかなり嵩張ってたが思い切って減量することにする。シュラフは4シーズンから3シーズンへ。ダウンも厚めのをウルトラライトへ。雨が降るならキャンプ場で夕食をとるのにタープがわりに使おうと思ってたULツェルトとタープ用の1本ポールを降ろす。それでも9.5kgほどあったので減量前の装備だと10kgは超えてただろう。
【11月11日】(DAY1)
予報通り、夜降り始めた雨が朝まで降り続いてる。遅くとも昼前には止むはずなのであまり気にしないでおこう。会場に着く頃には南側の空に晴れ間が広がり雲間から朝陽が射す。良い兆し。
八ヶ岳側から湧いてくる雲はまだ厚く、雨が降り続く。
スタート地点は会場から3kmほど離れたところにあるがどこにあるかを事前に知らされることはない。マーキングに従って歩く。歩き始めるとすぐ雨が止む。
南側の晴れ間がどんどん広がっていく。
雨上がりの冷たく澄んだ空気が気持ちいい。
スタート地点に到着。
10分ほど前にSCORE LONGの待機ゾーンに入る。地図は、1分間に最前列に並ぶまでは手にすることができない。
そして1分前に地図を手にしたら、ざっと眺めて全体的にどのエリアを攻めてフィニッシュに辿り着くかの大まかな作戦を立てる。
いよいよスタート!
いきなり真っ直ぐな林道。トレランならこのまま気持ちよく走り抜けたいところだが、少し先へ進んだところで一旦脚を止める。もう一度地図を見て、最初に狙うコントロールへのルートを決める。
ロード、林道、山道、道無き道(藪漕ぎ)、ルートは無限だ。狙ったコントロールをいかに確実にそしてなるべく早く見つけるか。
コントロールは道沿いにあるとは限らない。
道沿いにない、山のピークや谷、尾根にあるコントロール(例えば128番)は、地図から地形の特徴を読み取って見つけ出すしかない。その大前提として地図上で自分が立つ位置がわかっていないことには、地図と目に見える実際の地形を比べられない。
”現在地を見失わないこと”
これが地図読みで最も大切なことなのだ。
自分の位置とコントロールの位置が地図上でわかれば、コンパスを使って方向を定め、アプローチしやすい斜面を選んで前へ進むのみだ。最短で一直線に進んだって構わない。道が無いと言っても秋の信州の低山は、背の高い藪はそんなに多くないので、十分に歩ける。道を歩くよりむしろ気持ちがいいくらいだ。落ち葉を踏みしめ、藪を掻き分け、道無き道を進んでると身体に眠っていた野生が蘇る。
こうして狙い通りにコントロールを見つけたらSIチップを差し込み到達時刻を記録する。
子供が宝物を見つけた時みたいに嬉しい。
そう、OMMは”大人の宝探しごっこ”なのだ。
こんなことを一日中繰り返すわけだが、その間、様々な表情を見せてくれる美しい山々に魅せられる。なんと贅沢な遊びなんだろう。
こうしてDAY1を終える。
<DAY1リザルト>
獲得ポイント320点(29位) 時間6:07:20(制限時間7:00:00)
思いのほか好成績。
移動距離32km。ちょっと走りすぎ。
テントサイトは広大な牧草地。
まだ4時前だが太陽が今にも沈みそう。まずはテントを張る。昨年と同じアライのエアライズ2だ。樋田さんチームのテントに隣接してテント本体を広げる。次にテントを立てようとポールを取り出したその瞬間に唖然とする。なんとポールを間違えた。雨の時にツェルトをタープがわりにして立てるために持ってきたタープ用の一本ポールではないか。どうやら昨夜、宿でザックを減量した時に間違えてテントポールを降ろしてしまったようだ。なんたる失敗。皆んなの知恵借り、手伝ってもらってなんとか一本で立ったけど、路上生活者のテントみたいでなんだかみすぼらしい。
ショックで気が滅入るけど、なんとか寝床を確保したので良しとするしかない。
気を取り直して夕飯の準備開始。
今宵の夕飯は4人で鍋と焼肉!
肉やら野菜やら生の食材は嵩張るし重いけど、寒いキャンプを楽しむためには削れないのだ。
第一弾はスンドゥブチゲ。
あっという間に食べ尽くす。
締めラーメンをぶち込んで汁も飲み干す。
次に焼肉。旨すぎるぅー。一日中、山の中駆けずり回って身体を削ったのでタンパク質が身体に染み入るようだ。
そして再び鍋。今度は濃厚白湯鍋だ。
もちろん締めはラーメン!
これでかなりお腹が膨らんだのだが、最後にまた焼肉食べてとどめを刺す。
贅沢な晩餐会が終わる。
周囲は無数のテントの灯りが重なり合って幻想的だ。これもOMMの風物詩の一つ。
急激に気温が下がり、外にいるのが耐えられなくなってきたのでテントに潜り込んで早々に就寝。
エアマット、3シーズンのULダウンシュラフに、必携装備のエマージェンシービィビィを重ねる。外で長々と夕飯食べて身体が冷え切っていたせいか最初は寒かったけど、体温が戻ると段々とシュラフの中が温かくなる。後になって知ったのだけど、明け方の最低気温はマイナス10℃だったらしい。まさかそんな極寒になると思わないで軽さ重視で選んだ装備だけど、意外とイケることがわかった。こういう経験値はこれからの登山で役に立つ。
【11月12日】(DAY2)
朝4時過ぎに起床。まだ暗い。DAY2のスタートまで約2時間。ULTRA LUNCHのビバークレーションとコーヒーでサクッと朝食を済ませて外へ出る。寒いを通り越して痛い。少しの間、外に出しておいたプラティパスの水があっという間に凍り始めてる。マイナス10℃の世界に驚く。
薄明が段々明るくなり、刻一刻と空の色が変わっていく。
マジックアワーだ。
そして陽が昇る。
もの凄いパワーだ。
振り返ると赤く照らし出された八ヶ岳のモルゲンロート。
この一瞬、ここにいる幸せを噛み締める。
のんびりしてる時間もなく、テントを畳みバッキングを済ませる。
そしてDAY2スタート!
DAY1は遠いコントロールを狙って距離的に走り過ぎたので、今日は抑える作戦。と言いながらもDAY1が29位と思いのほか順位が良かったせいで欲が出る。結局のところ、遠くのコントロールを取りに行ってしまう。その結果は・・・それは後程。
朝陽に照らし出された野辺山の絶景を見ながら上機嫌で前に進む。
遠くの山々の陰影が印象的だ。
木漏れ日の中、地形を頼りに道無き道を進む。道無き道と言っても、この季節なので背の高い草は無く、とても歩きやすい。
順調にポイントを稼ぐ。
僕の前に道はない。
僕の後ろにも道はない。
道は、今、ここにある自分の一歩だけだ。
時折、八ヶ岳が姿を見せてくれる。
青い空。
モノトーンの山。
黄金色に輝く木々。
美しい景色に脚を止め息を飲む。
歩きやすいところばかりではない。こんなイバラが茂ってたりもする。山道を進むなら素足でワラーチで行きたいところだが、道なき道を行くとなると、藪の中や落ち葉の下に何が潜んでるかわからない。足を傷つけないよう全体を布で覆う必要がある。なのでワラーチは封印しシューズを履く。今年は準備が間に合わなかったけど、作業用の足袋もいいだろう。
途中でコントロールを深追いし過ぎたことに気づく。悠長にコントロールを探してたら制限時間に間に合わない。とにかく道を使ってフィニッシュ地点に戻ることを最優先にする。
延々と続く登りに辟易しつつも、木々の美しさに癒される。
苔むした岩から滲み出る清水で水分補給。
八ヶ岳は水が豊かだ。
峠のてっぺんで遠く富士山が突然御姿を現す。どこから見ても富士山の存在感は圧倒的だ。
ここからは下り。
制限時間には間に合いそうもないが超過時間を少しでも短くするためにも走る。1分超過したら5点の減点。せっかく稼いだポイントが湯水の如く消えていく。
道沿いにあるコントロールで消えていくポイントを補充しつつ、トレラン並みに激走して下る。
そしてフィニッシュ!
<DAY2リザルト>
獲得ポイント185点(235位) 時間6:12:25(制限時間6:00:00)
13分超過して65点の減点。痛っ!
移動距離30km。よう走ったわ。
<総合リザルト>
獲得ポイント505点(131位)
時間12:19:45
またしても昨年と同じ過ちを繰り返し、2日目で大幅に順位を落としてしまった。
地図が読めても、走れても、距離と時間のマネジメントができないとダメ。これは登山でも同じこと。まだまだ実力不足ということで、来年に乞うご期待!
フィニッシュ後は会場でプチ打ち上げ。ドライバーさんには申し訳ないけどビールが美味過ぎる。
こうしてOMM2017の幕が降りる。
完
マイラーへの道〜信越五岳トレイルランニングレース2017
トレイルランニングの世界では、100マイルレース完走者は特別な尊称として「マイラー」と呼ばれる。
5年ほど前、歳男で始めたランニングも、少しづつ距離を延ばし、ハーフからフル、そしてウルトラへ。ロードからトレイルへ。シューズからワラーチへ。裸足ランとか一本歯下駄とかどんどん世界が広がって行く。そんな中でいつしか「自分もマイラーになりたい」と思い始める。
距離だけなら、5月のTDT100マイル 、6月の甲州街道鳥の旅215kmで経験済み。
しかし、いずれもロード主体だ。ロードとトレイルは全く別物。やはりトレイルを100マイル走ってこそマイラー。
その一歩として、昨年の9月にUTMFに初挑戦。距離165km、累積標高7500m、日本最高峰のトレランレースだ。ところが悪天候のため、まさかのコース短縮で50km弱になってしまいマイラーを逃す。 ystiseki.hatenablog.com
今年は昨年の悪天候の問題でUTMFは中止になってしまった。マイラーは来年まで持ち越しだ。
そんな折り、いつか走りたいと思ってた超人気レース、信越五岳トレイルランニングレース(110km)に新たに100マイルが創設されるという。こりゃエントリーしない手は無い。万全の体制でクリック競争を勝ち抜き0次関門を突破した。
そして迎えたマイラーへの2回目の挑戦。なんと台風接近により、またしてもコース短縮。黒姫エイドまでの102kmになってしまった。またしてもマイラーを逃す。
しかし、中止にならなかっただけありがたい。台風は近づいている。これ以上、距離短縮にならないことを祈る。
9月16日レース当日。
新幹線でレース会場へ向かう。スタートは夜の19時半なので、朝立ちで十分間に合う。早めに自由席に並べば座れるだろうと高を括ってたら三連休の大混雑で座れず。東京駅から飯山駅まで1時間半、すし詰めの車両デッキで立ちっ放し。こんなところで脚を使ってる場合じゃ無いのに・・・
現地到着。
どんよりとした曇り空。お天気が良ければ、走りたくてうずうずして高揚するところだが、台風の進み方によっては、さらなる距離短縮や打ち切りもあり得るので気持ちは抑え気味に。必携装備のチェック、選手受付を済ませ近くの仮眠所へ移動。パッキングを確認して1時間半ほど仮眠する。
再びスタート地点へ戻る。
ちょうど110kmの部(こちらは52kmに短縮)の前夜祭中。乱入?して仲間達と記念撮影。走り始めた頃はほとんど知り合いがいなくて、レースは1人で行って、1人で帰ってくるものだったけど、この5年間に随分と仲間が増えた。お陰で別に示し合わせたわけでなくても、レースに行くと誰かしら仲間がいて、冗談言い合ったり、お互い励まし合ったりできることに幸せを感じる。
みんな、ありがとう!
そしてようやくスタートラインに立つ。
【スタート(斑尾高原レストランハイジ)】(19:30)
いざ出陣!
コースの両脇に延々と続く応援者の花道をハイタッチしながらゆっくり進む。ようやく気分が高揚し始める。
それが途絶えるとその先は暗闇。ヘッドライトの列がずっと連なって暗闇に吸い込まれていく。
走り始めは皆んなハイペースだ。隊列で走ってると自分のペースを掴みにくい。ちょっと速いなぁと思いながら走ってると、5月にTDTを一緒に走った女性ランナーの宮崎さんの後ろにつく。裸足ランナーの話題から着地時の膝抜きについての話へ。人に教えられるほどの達人には程遠いが、自分なりのイメージを言葉にして伝える。伝えながら彼女の走りを見ていたんだけど、縦にも横にもブレがなく、滑らかでとても綺麗なフォームだ。これだったらアドバイスするまでもないなぁ〜なんて思ってたら置いてかれた。速いんだもん。事実、彼女はこの後、素晴らしい走りで入賞したんだからマジで速い! 後で知ったが、脚に故障を抱えていたそうだ。故障を抱えてるからこそ、着地とか走り方に関心があるのかもしれない。僕は速く走る方法は伝えられないけど、故障しない走り方なら、少しは伝えられることがあるかもしれない。
【菅川19km】(OUT21:30)
目標タイムより50分速い。ここはウォーターエイドなので水を補給してすぐ出発。台風が近づいてるので少しでも前へ進んでおきたいという気持ちもありペースを落とさず走る。昼間だと素敵な景色に出会ったら脚を止めて写真を撮ったりするのだけど、夜は只々走るのみだ。
【バンフ24km】(IN22:40 OUT22:46)
目標タイムより1時間ほど早い到着。斑尾山の山越えでかなり脚を使ってしまった。ここからはちょっとペースを落とすことにしよう。
信越はエイドが充実してると聞いていたので、行動食は最小限にしてエイド中心に補給するつもりでいたけど、ちょっと寂しい品揃え。あまりに充実してるとエイドに長居してしまうので、時間短縮には良かったもしれないが・・・
気持ちの良いトレイルが続く。昼間だったら素敵な景色が見えたはずだ。夜走るのはもったいないと思う。 トップランナー達は早朝にゴールするのだからほとんど景色を見ることができない。自分は遅いので半分くらいは昼間走る。早く夜が明けて欲しい。
【赤池37km】(IN 1:04)
この区間はほぼ目標ペースで走れた。
夜走るのは、景色が見えずもったいないので好きではないが、走ってると眠くならない体質なので夜通し走るのは得意だ。二晩くらいはいける。走れメロスじゃないけど、ここぞという時にはきっと役に立つだろうな。そんな一大事は無い方が良いけどね。
ずっと風雨を心配して走ってたけど、とても穏やかだ。森の中は風が木々に遮られて吹き抜けないからだろう。風の音だけが聞こえる。森は優しい。
ふと空を見上げると満点の星空。しばし脚を止め、ヘッドランプを消して真っ暗闇の中で独り星空を愛でる。
【アパリゾート妙高56km】(IN4:51 OUT5:14)
目標タイムより1時間ほど早い到着。バンフからは、速過ぎず遅過ぎの良いペースで走れたが脚は重い。やはり初っ端の斑尾山越えでペースを上げ過ぎたのが原因だろう。トレイルランニングは奥深い。
「100マイル走ることについて知っておくべき10のこと」というブログ記事がある。 www.thecleanestline.jp
ペース配分やエイドの過ごし方などとても役に立つことが書いてあるので、超長距離レースの前には、いつも読み返したい。読んだからと言って書いてある通りに走れるかというと、これがなかなか難しい。心も身体も思うがままにはならないもの。超長距離は「走力」だけで走り抜くことはできない。心と身体の総力戦なのだ。「走力」より「総力」
エイド滞在中に夜明けを迎える。
夜中に雨が降らなくて良かった。しかも奇跡のような青空。ここからは自分らしく、景色を愛でながらのんびり進むとしよう。
機具池というらしい。朝の光を浴びればどうってことのない池も、神々の庭と化す。
こういうのを信越らしいトレイルって言うのかな。この後、どんな景色と出会えるか楽しみだ。
里へ降り長閑な農道を走る。
100マイルコースの北端にあたる。
両脇には美しい稲穂が深くこうべを垂れる。収穫の秋は近い。
里を離れ再び山へ向かう。
関川沿いの土手道を走る。川上に向かうので、走れるくらいの緩やかな登りが延々と続く。走れると言ったって登りは登り、走るとかなりキツい。走れないくらいの登りの方がいっそ楽かもしれない。
関川を離れ、里を抜けて、西側の山岳地帯へ向かう途中、次のエイドの手前でワラーチのユカさんが追いついてきた。きっと前半を抑えてたんだろうな。自分もそうしておけば良かったと思っても後の祭り。あっさり追い抜かれる。
マイラーを目指す同志だ。
【妙高自然の家71km】(IN7:58)
この区間は15kmなんだけどやけに長く感じた。ほんとに距離あってんのかなぁ。目標タイムの20分前。だいぶ貯金を使い果たした。
このエイドは、地域の子供達がボランティアをやってくれてる。皆んな一所懸命で微笑ましい。ここで飲んだトマトスープは絶品でした。
子供達に見送られてエイドを後にする。
この後、また山に入る。
藤巻山へ登る途中にパッと視界が開けて、遠くに海が見えた。
こんな一瞬が好き。
藤巻山への急登。なんだかハセツネっぽいなぁ〜なんて思いながら登る。
藤巻山を下り、関温泉を通って、しばらくロードを走ると赤倉のスキー場地帯へと入る。
この斜面、ゲレンデです。
ジグザグに巻いて登るんだけど、笹を刈って土を露出させただけなので、トレイルが斜めってます。自分も西湖(富士五湖)湖畔でトレイル整備やってますが、山側の土を削って谷側に移して路肩を作り、トレイルをなるべくフラットにします。ゲレンデなのでそれができないのか、人手が足りないのか、あるいはそこまで甘やかすことないということなのか。危険なわけじゃないのでこれはこれで構わない。差し出されたトレイルを受け止めるまでだ。
しかし、悪いことに、この斜面を登り始めてすぐに雨が降り出す。慎重に足を置くが、トレイルが斜めってることもあって、ワラーチのフットベッドに土砂を巻き込み、雨水でヌルヌルになって足裏が滑り出した。ワラーチの最も不得意なシチュエーション。なす術なし。こうなるとワラーチの紐だけが頼り。
足とワラーチがバラバラに動こうとするのを紐でしっかりと繋ぎ止める。全体重がのし掛かって強烈なテンションが掛かっても切れず、かつ、食い込んで皮膚を傷つけないしなやかさが必要とされる。そのために僕のワラーチは10mm幅の極太のボシェト革紐を使う。今回もしっかりとサポートしてくれた。やっぱり頼りになる相棒。
ゲレンデを登りつめた所で予備ワラーチに切り替える。
手前がここまで履いてきたワラーチ。
奥が予備ワラーチ。違いはフットベッド。どちらもノンスリップシートと呼ばれる軟質塩ビのシートをフットベッドに採用しているが、予備ワラーチはエンボス加工が施されている。その分、排水性が良いので滑り止め効果は高い。ただし、凹凸があるので触感は劣る。今回はスタート時に雨が降ってなかったので、走り出しは快適なエンボス無しのタイプをチョイス。そのせいもあって、さっきのゲレンデ斜面はあっという間に滑り止め効果を失ってしまった。エンボスタイプだったら難なく登れたかもしれない。こう言う経験の積み重ねが、次に役立つ。
今度はゲレンデを下ります。
エンボスタイプなので足裏の滑り皆無で快調に駆け下りる。
【赤倉89km】(IN11:48)
残すところ13km。制限時間まで約3時間。これがロードなら余裕有りだがトレイルは何が起こるかわからない。気を引き締めてゴールを目指す。
信越らしい極楽トレイルと「そんなの聞いてないよぉー」って感じのエグいゲレンデの繰り返し。まさに飴と鞭だ。
ゲレンデは人工斜面なので気持ち良さが本来のトレイルに比べると劣る。それにしてもこのコース、ゲレンデが多すぎる。やはり100マイルもの距離を山道だけで繋ぐというのは難しいことなんだなと思う。
時々こんなトラップも。ドロ沼はワラーチの鬼門。さてどこを通るか・・・
飴と鞭のゲレンデ地帯を抜け、里へ出て一息。秋桜に癒される。
再び関川沿いの緩い登りをノロノロと走る。朝走ったところより上流なので川幅が狭くなっている。
川沿いをしばらく走ると宴会隊の私設エイドがある。
ここは、公式エイドと被らない、麦茶、梨、グレープフルーツがあってほんとに有り難かった。同じものばかり食べてると飽きて食べる気がなくなる。食べないと走れない。何をどのように食べるかは超長距離の「総力」の一つだ。
最後は走りに集中。
どんなに疲れていても、たいがいラスト2〜3kmは脚が動くのだ。脚を完全に使い切らないよう、意識しないところで頭がコントロールしてるに違いない。
そして、ついにゴ〜ル!
距離102km、19時間17分48秒の旅が終わる。
結局、目標タイムより1時間オーバー。
一応、ギリギリで完走ペースには入ってるが、もしこのまま100マイルだったとして果たして完走できたのだろうか・・・
脚は残ってるので走り切ることはできただろうが、制限タイムに間に合ったかどうかは微妙。
今回は訳あってペーサー無しで走ったが、もし100マイルだったら、残りの60kmを制限時間内に走り抜いて完走するためにはペーサーが必要だったかもしれない。
マイラーへの道は続く・・・
最後に、頼り甲斐のある相棒に感謝!
リベンジ ! 第2回甲州街道 鳥の旅 215km
甲州街道 鳥の旅。
それは下諏訪から日本橋まで、旧甲州街道215kmを自分の脚で辿る旅だ。
6月23日(金)の夜22時に諏訪大社下社秋宮を出発し、6月25日(日)22時までに日本橋の浜町公園に辿りつけば完走となる。
実は昨年の第1回 鳥の旅にチャレンジしたのだが、左足首を痛め、八王子の手前でリタイアした。その瞬間は悔しいというより安堵した。それほど心身共に過酷な旅なのだ。
しかし日本橋を渡らずして旅は終わらない。
来年は必ず完走すると誓った。
脚を痛めるのは走り方が悪いからだ。
走る距離や速さではなく、走りの質を高めることが本質改善に繋がる。
この一年を振り返ると、裸足で走り、
そして、新たに一本歯下駄を始めた。
特に一本歯下駄は収穫有りだ。「蹴らない走り」ができるようになった。一本歯下駄では重心軸に体幹がのってないとバランスを崩してしまうので、地面を蹴るような姿勢だとまともに歩いたり走ったりできない。一本歯下駄を履いていれば、意識せずとも自動的に姿勢を正せるのだが、逆にその感覚を意識することで一本歯下駄を履かない時にでも姿勢を正せる。これで走り方がかなり改善されたと思う。
そして一年が経った。
【6月23日 17時】
その日は有給休暇をとり少し仮眠でもしてから家を出ようと思ったが、結局、真昼間から寝ることもできないまま家を出て、新宿バスタへ到着。
昨年は丸1日仕事した後で、スーツと革靴のままバスに乗ったことを思えば、心身に余裕がある。休暇をとって良かったと思う。
17:15に新宿を出発。やはり眠れない。家を出てから電車の中で読み始めた「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ)の続きを読む。一度読んだ本はめったと読まないんだけど、何故かこれを読もうと思った。
読むほどに引き込まれて、下諏訪に到着する前に読み終える。
『おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ』
これは、この本に書かれた一節だ。
何を望むって、そりゃ完走だ。
宇宙を味方につけたのなら絶対完走できる。根拠なき自信が湧いてくる。読んで良かった。というか、これを読ませたのも宇宙のチカラなのかもしれない。
スタート地点の諏訪大社に到着。昨年は、どしゃ降りの雨だった。普通なら悲壮感が漂っていてもおかしくないシチュエーションなのに、皆んな楽しそうにお喋りしてる。かなりの変態の集まりだと思った。今年は雨にも降られず、一年ぶりに再会した人達とお喋りしたりして、穏やかでとても平和な気分。
一年ぶりだけど、(ド変態)仲間が増えて嬉しい。
【6月23日 22:00】
日本橋を目指して出陣!
現代の甲州街道は国道20号線だが、この旅ではできる限り旧道を辿る。暗いけど車通りも少なく走り易い。夜の涼しい間に距離を稼ごうと淡々と走る。
最初の夜明けを迎える。旧道沿いには老舗のお店が残ってたりしてとても風情がある。
【6月24日 4時20分】
朝焼けの中、台ヶ原より古道に入る。
昨年のお気に入りポイント。
しばしタイムスリップして、いにしえの時代を思い浮かべてみる。
古道から国道へ戻り先へ進む。この辺りは、元々旧道があって、その一部を広くしたり、バイパスしたりして国道を作ったので、国道と旧道を入れ替わり立ち替わり走る。
どっちが走り易いか?
それは旧道だ。
何故なら、国道は自動車のために作ったので歩行者のことは配慮されてない。歩道はあっても田舎の歩道など、あまり整備もされておらず荒れているところが多い。
旧道は、元来、人のための道。車通りも少ないしスピードも遅い。それとたいがいの旧道の両脇には、旧家や蔵、水路などが残っていて歴史の名残りを感じることができる。水路のせせらぎに癒されたりもする。鳥の旅を走るならなるべく旧道、古道を走ることをお薦めする。
陽が高くなるにつれ段々と気温が上昇する。夜は涼しくてほとんど水分を取らないで走れるのだが、暑くなると水分補給量が急激に増える。
【6月24日 8時40分】
とにかく甲府の街は暑い。太陽がギラギラと照りつける。ちょっとしたビルの谷間の日陰を選んで走るなどして暑さを避ける。
【6月24日 9時31分】
甲府の市街地を抜けると、第1エイド 石和健康ランド(75km)に到着。
まずはエイドで飲み物やフルーツをたっぷりいただく。そして健康ランドのお風呂で身も心もサッパリ。腹が減っては戦さはできぬ。健康ランドのレストランでスパゲティー(当然の大盛り)を胃袋にぶち込んでカーボローディング。
【6月24日 11時58分】
エイドに2時間半ほど滞在して出発。
ここから第2エイドまでは23kmと大した距離ではないが、何しろ一番暑い時間帯に勝沼へ向けてダラダラと登り坂が続く。さらにその先には笹子峠という難所が待ち構えている。
暑い中を走るというのは難しい。汗をかくと水分だけでなく塩分やミネラルも失う。だから単なる水じゃなくてスポーツドリンクを飲むのだが、砂糖がかなり入ってるので甘い。冷たくて甘いは、内臓の負担が大きい。胃が弱って食欲減退。食べないからエネルギーが不足する。そんな悪循環に陥ると、いわゆるハンガーノックになるのだろう。
そもそも暑いからと言って冷たいものを飲む必要があるのか?
昔は冷蔵庫なんて無かったんだから常温で十分なんじゃないか?
冷たさ、甘さは、現代のライフスタイルに慣れきった脳が渇望してるだけで、身体が本当に欲するものではないのかもしれない。
昨年の鳥の旅では、味覚がおかしくなって食欲を失くした。後で教えてもらったのだが、どうやら亜鉛が関係してるらしい。また、攣りは、諸説あるがマグネシウムやカルシウム、ナトリウムが関係するとか。
ミネラル補給は大事だ。汗とともに流出するミネラルをどうやって補給するのかも考えておく必要がある。
今回の旅では、ミネラルは、亜鉛とマルチミネラルのサプリを旅の途中に3回飲んだ。そのお陰かどうか定かでないが、大量の汗をかいたのに最後まで脚が攣らなかったし、食欲は減退しても味が分からなくなることはなかった。(ちなみに僕の脚はとても攣りやすい)
糖質補給について言えば、超長距離ランでは、速効性は必要ないものの、内臓が弱る可能性が高いので、あまりに分解に時間とエネルギーを要するものは適切ではないと思う。今回、Trail Butter と言う1個で760kcalもあるエネルギー補給源を3個持参した。1ヶ月前のTDTで知ってとても美味しかったし腹持ちも良かったので採用してみた。Butterと言うだけあって脂質が多く分解しにくい。弱った内臓には負担が大きく、そもそも食欲を失った状態では食べる気がしなくて、結局食べたのは走り始めの方に1個だけ。デキストリンにカルピスを混ぜて作った自作ジェルも持参したんだけど、味見をしなかったもんで不味くて使えず。カロリーはあっても不味いものは口に入らない。結局のところ持参した行動食には殆ど手を付けず。重い荷物にしかならなかった。
自分にあった補給方法(水分、塩分、糖質、ミネラル)についてはまだまだ改善の余地有りだ。
鳥の旅の主催者である末房さんのコメントを大いに参考にしたい。
『基本的に食べなくても走れる距離を延ばす練習がトレーニングの骨子になります。そしてハンガーノックになるペース、ならないペースの境目をいつも見極め、どうしようもなくなったら俺にはこれだっ‼という食材の見極め(これがたのし)』
話を旅に戻す。
勝沼を抜け山間に入るといよいよ笹子峠へ向かう旧道だ。曲がりくねりながら高度を上げる。
登り坂はしんどいが、まわりの木々の濃い緑や渓流の音色に包まれていると苦しさを忘れる。
やっぱり山は気持ちいい。
ふと路側を見ると枝の切れ端がたくさん落ちてる。1ヶ月前のTDTの高水山のトレイルでとあるランナーから教わったことを思い出した。落ちてる枝をストックがわりにすると、楽に走れる。ちょうど良い太さと長さの枝を2本拾って使ってみた。やっぱり楽だ。推進力を得て快調に登る。
失敗も、成功も、経験は活かすためにある。
峠が近づいたところで古道のトレイルに入る。ここも前回のお気に入りポイントだ。
やっぱりアスファルトよりトレイルが気持ちいい。
古道から再びアスファルトの道路に出て少し走ると笹子峠のトンネルが見える。
昨年は日没に差し掛かった頃で薄暗い中、このトンネルを恐々走り抜けた。人づてに聞いた話ではこのトンネルは何か出るらしい。(どんなトンネルにもそんな話は付き物だ)
今回は時間帯が早い上にトンネルを通らず本来の峠道を行くので、怖い思いをせずに済んだ。
【6月24日 16時41分】
チェックポイントの笹子峠に到着。昔の人たちも同じ景色を見たのだろうか。
笹子峠から黒野田の第2エイドまでは下りだ。
しばらくアスファルトを曲がりくねりながら下ると「矢立の杉」という名所に着く。
ここもお気に入りポイントの1つ。
大木の迫力に圧倒される。ここは間違いなくパワースポットだ。
ここからはアスファルトの道路に戻らず、トレイルを下る。ロードの方が早くて楽なんじゃないかと思う人もいるだろうけど、アスファルトの道は曲がりくねって距離も伸びるし、硬いし、脚への負担が大きい。このトレイルは、緩やかな下りの直線で、路面も良く整備されている。緑に包まれた極楽トレイルをご機嫌に駆け降りる。
【6月24日 17時31分】
第2エイド 黒野田(108km)に到着。
やっとハーフだ。昨年は第1エイドから左足首に痛みが出て不安を抱えてたけど、今年は痛みが無いのが嬉しい。 エイドに入ると大きなテーブルにフルーツやお漬物や飲み物がたくさん並んでいる。それらを摘んだり飲んだり。
そしてお待ちかねのメインディッシュ、カレーライスだ。
旨い! 旨いので、おかわりをいただく。
【6月24日 18時45分】
美味しい食事とスタッフの皆さんのホスピタリティーをたっぷり心身に満たして、第2エイドを出発。
ここから大月辺りまでは緩やかな下り坂が続く。そして2回目の夜を迎える。
下りなので快調に走る。100kmも走った後でこんなに走れりゃ上出来だと思ってたら左足の甲に痛みを感じる。ワラーチの結び目があたって痛いのかと思って結び直してみたがやはり痛い。どうやら中足骨周辺を痛めたようだ。無理すると疲労骨折する恐れがある。ランナーによくある故障の一つである。下りを調子に乗ってペースを上げ過ぎたのだろう。蹴らない走りをずっと心掛けてたのに油断してしまった。下りは要注意だ。最後まで足が持ってくれるか不安がよぎる。
大月の先の鳥沢からは国道を離れ山間の旧道を行く。
少しでも痛みが和らぐ走り方がないかと試行錯誤してみる。着地の時に足趾(あしゆび)を折り曲げて地面を掴むようにすると痛みを感じないことがわかった。身体は前傾させずに腰高を保ち、脚はやや前へ降り出し気味にして足裏の着地点が拇趾球により前にならないように意識する。
無理はできないがこれで前へ進めると思いホッとする。
昨年は独り寂しく走った道だか、今年は鳥沢のコンビニから、初日に知り合った鳥の旅ランナーの木村さんと一緒に行くことにした。2人でいるだけで気持ちはずいぶんと軽い。
【6月24日 23時45分】
チェックポイントの犬目の公民館に到着。
長居は無用。行動食を少し食べてすぐ出発。
犬目を出て間もなく、視界が開け、中央自動車道の談合坂SAの見える場所がある。昨年のお気に入りポイントだ。
去年もそう感じだけど、あの世から下界を見降ろしてるかのような不思議な感覚だ。
旧道を下り、野田尻、鶴川を経て上野原で再び国道20号線に合流する。
上野原のコンビニで休憩してると雨が降ってきた。レインウェアを着て出発する。
(ここから先しばらくは雨で写真がありません。)
上野原からしばらくは独りで走ってたが、相模湖近くのコンビニで木村さんも含めて4人のランナーが一緒になった。相模湖周辺の旧道は複雑でロストし易い。それもあって自然と4人離れ離れにならないようにかたまって走る。雨の中、あっちだこっちだと声を掛け合いながら走る。ロゲイニングのようで何だか楽しい。
美女谷温泉への分岐で相模湖を離れると2つ目の難所である小仏峠への古道に入る。雨が降っていて路面は濡れていたが、整備の行き届いたトレイルなのでワラーチでも全く問題無し。雨のトレイルも幻想的で良いものだ。
小仏峠に到着。
峠を下ると待ちに待った第3エイドだ。
【6月25日 7時10分】
第3エイド 高尾梅の郷 (161km)に到着。
ここで食べた豆乳にゅうめんは疲れた胃でも美味しく食べれて最高でした。普段の食事としても食べたいくらいにクオリティーが高い。
さて、100マイル走ったところで身体の具合はどうかというと、中足骨周辺の痛みはあるものの、去年のことを思えばまだまだ走れる。眠くてしょうがないということはないが、頭がボォ〜としてる、といったところだ。時間的には余裕があるので少し寝ることにする。
エイドとして貸し切られた建物の中にある広い会議室のようなところに入る。何人かのランナーが仮眠してる。寝るといって布団があるわけじゃなく、硬い床の上に直に横になるだけ。それでも雨風あたらず静かに寝れることはとてもありがたい。
8時くらいから9時出発のつもりで寝たら起きたのが9時。アラームもセットしなかったのでよく起きれたもんだ。たった1時間でも熟睡したので頭はスッキリ。走る意欲も増す。やっぱり睡眠は大事だ。寝ないでも走れるかもしれないけど、これからは計画的に寝ることも考えようと思う。
第4エイドの新宿御苑まで46km、フィニッシュの日本橋まで55kmだ。よほどのことがない限り完走できるだろう。とにかく前へ進めばいいのだ。幸いなことに寝てる間に雨が上がった。
【6月25日 9時19分】
第三エイドを出発し、八王子、日野へと進む。単調な都会の舗装路だが、時折、旧道の名残りに出会う。
ほんとうはこういう旧跡を一つ一つ訪れて歴史に触れたいのだが、先を急ぐ身なのでそんな余裕はない。別の機会にゆっくり旅ランしてみたいものだ。
立日橋で多摩川を渡る。
1ヶ月前のTDT100で走った思い出深い景色をしみじみと味わう。
またTDT走りたいなぁ。
百何十キロも走った直後でも、そう思える。
府中で水分補給のため反対車線側のコンビニに入った後に事件発生。
そのコンビニを出てしばらくすると、反対車線側の歩道を鳥の旅のランナーが2人、逆方向に走ってる。普通の思考回路なら自分の間違いに気づくはずなのにピンとこない。そのまま走り続けてると、こんどは同じ側の歩道を逆方向に走る鳥の旅のランナーの集団に遭遇。そこでやっと自分が逆走してることに気づく。反対車線のコンビニに入ったことを忘れて、同じ方向に進んだつもりが逆方向だったわけだ。
眠くなくても睡眠不足は思考力の低下を招く。
昨年、美女谷への分岐で痛恨の道間違いも睡眠不足のせいだろう。
睡眠は大事。
往復で1kmほどのロス。まぁ200kmも走る中では誤差みたいなもんだが。
調布に差し掛かったところで前方で大きく手を振る人たちが見えた。
ランナーの集う店として有名な半蔵門の居酒屋 炭やの女将(おかみ)の提供する私設エイドだ。女将の吸引力にランナーがどんどん集結する。
フルーツと飲み物をたっぷりいただいたら、女将より、「尻(ケツ)」にビシッと気合いを入れてもらって出発。
都内に近づくにつれ歩道を歩く人や信号が増え走りにくい。おまけに距離標識があるもんだから、あそこからまだこんだけしか走ってないのか、まだこんなに走るのか、とか余計なことを考えてしまう。
「超長距離走ってる時、何を考えてるの?」と聞かれることがある。
少なくとも、過去と未来についてはあまり考えないようにしてるとだけは言える。
瞑想のように今ここに意識を集中する。特に身体への意識を大切にする。呼吸、着地、姿勢。良い景色に出会えば、躊躇なく脚を止めてそれを味わう。
超長距離を走り抜く秘訣は過去と未来に執着しないことだ。
215kmも、一歩一歩の積み重ねに過ぎないのだから。
人生という旅も同じだろうと思う。
そして、ようやく大都会新宿へ到着。
金曜日の夕方にここから下諏訪行きの高速バスに乗ったんだ。
脚で走って戻って来た自分を褒めてやりたい。
【6月25日 18時09分】
第4エイド 新宿御苑前(207km)に到着。
ここで、なんと嫁さんがランニング歴5年にして初のお出迎え。
ここはランナーの集うお店として知る人ぞ知る、新宿三丁目のcocoさくらのママである功子さんさんのエイドです。旅の前に「絶対新宿まで行くからね」と約束したので果たせて安堵。 美味しい冷麺をいただき最後の補給を完了。
ここまで来れば完走間違い無しだ。
【6月25日 18時21分】
身も心もリラックスしてエイドを出発。
間もなく皇居に出る。
ここは、仲間と裸足ランの練習で何度も走ったところ。
速いランナーにどんどん抜かれていく。
俺は下諏訪から200km以上走ってここまで来たんだぞぉ〜。
遅いけど構うもんかと開き直るしかない。
こんな皇居ランもあっていい。
東京駅の正面を過ぎ大手町で皇居を離れるといよいよクライマックス。
日本橋が光輝いてる!
ついに日本橋まで辿り着いた!
昨年のリベンジを果たしたんだ。
限界を超えたぞぉ~
あまりに日本橋が愛おしくて、その場を離れるのがもったいなくて、しばし欄干を撫でまわしたり、モニュメントに見惚れる。
後ろ髪を引かれながら日本橋を離れ、フィニッシュ地点の浜町公園へ向かう。
身体はボロボロだけど、もう何の不安も無い。
そしてフィニッシュ!
旅路でお世話になったスタッフの皆さん、共に旅をしたランナー、そして嫁さんも新宿から移動して出迎えてくれた。
みんな旅を支えてくれてありがとう!
こうして下諏訪から日本橋まで215km、46時間の長い旅路が終わる。
最後にもう一度、あの言葉を記しておきたい。
『おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ』
「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ)
TDT〜100マイル共走!
2017年5月27日、28日の2日間にわたりTDTという100マイルをグループで走るイベントに初参加した。Tour De Tomo。発起人は井原知一さん。(愛称トモさん)。トレイルランニングの世界ではかなり有名かつ人望の厚い人です。
TDTに参加するには前回完走者からの推薦があって、かつ抽選なので希望したからといって走れるわけじゃない。今回はワラーチ仲間のゆかさんの推薦、その後の抽選を経て参加することが決まった。
ワラーチ族の繁栄という使命も担って・・・
その後、FBグループに招待され、ポツポツと情報が入ってくる。
3月25日、Captains bookというドキュメントがアップされた。
開催日、場所、持ち物、こここまでは通常の大会要項みたいなものだけど、その後に“憲法”という項目がある。
1項「T.D.Tはレースではありません。100 マイルを 24 時間くらいで完走を目標としたグループペース走です。」ふむふむ。さらに読む。
5項「ロッテリー後の参加資格」当選したからと言って参加できるわけじゃないんだ。トレイルや公園のゴミ拾いと衣類や文房具のドネーションをすること。ちょっと変わってるけど、社会の為になることだからやってみよう。
その後、雲取山で拾活。
17項「KUGISAN」 くぎさん?なんじゃそりゃ。スイーパーではないけどスイーパーみたいに最後尾についてくれる人かな?なんだかよくわからん。まさかそのKUGISANに自分がお世話になるとは想像だにしてませんでしたが・・・その件については後ほど。
21項「怪我、道迷い、ハンガーノック、全て自業自得になります」なんか厳しいなぁ。その真意は? まっ、走ればわかるだろ。
22項「弱音を吐いたり、ネガティブな事を言った場合は即失格となります」マジかっ(汗) 常にポジティブであれってことやな。TDT語みたいなのが書かれている。
例1)「疲れた」→「気持ちいい」
例2)「眠い」→「まぶたの裏側を見てた」
例3)「攣った」→「脚が熟成した」
例4)「お腹がPP」→「お腹が踊った」
例5)「捻挫した」→「可動域広がった」
例6)(靴に)「穴が空いた」→「ベンチュレーションが効いていいぞ」
例7)ネガティブな言葉の前に「ゴー!ゴー!」と付け加えれば、失格にならない 。ゴー!ゴー!痛い、とか。
なんだかとんでもないイベントに参加したようだ。その後、「脚が熟成した」を連発する事態になるなどこの時は思いも寄らなかった。その件は後ほど。
これ以降、TDTに敬意を表して「攣った」は「熟成した」と書く。
さらに読み進むと“TDTイズム”とある。
「いい人であれ!人に敬意を払え!何事にも責任感を持て!クールな人であれ!でなければ、このコミュ ニティーに参加しないでくれ」まぁ、どっちかというとそういうタイプでいたいと思ってるし、まぁ参加して場違いってことはないか。
そして“TDT の誓い”へ。
「TDT 中に私がたとえ怪我をしても、もしくはロストしても、はたまたハンガーノックになったとしても、全て 自業自得です。アーメン。」自業自得という言葉は世の中一般ではネガティヴに使うけど、仏教本来の意味は、「自分の行為が自分の運命を生み出す」であり、そこにはネガティヴもポジティブもない。TDTは、常にポジティブであれと言ってるんだからきっとポジティブな自業自得だろう。
captains bookを読み終えたものの、実感の湧かないままイベント当日を迎える。
5月27日、スタート地点は多摩川の河口に近く、旧穴守稲荷神社の大鳥居だ。このイベントでは、トレランでお馴染みのSALOMONブランドに因んでか、サロ門と呼んでる。
ここから多摩川河川敷や土手の歩道を行く。上流へ60km弱進んだところで多摩川を離れ、羽村から新奥多摩街道を通って青梅へ。青梅鉄道公園からトレイルに入って高水山の常福院まで。ここが折り返し地点だ。同じルートを折り返してサロ門へ戻る。約160km、ロード約80%、トレイル約20%だ。
スタート前に同じくゆかさんの推薦で一緒に走ることになったワラーチ仲間のNobbyさんとTDTで初めて出会ったルナサンダルのアキラさんのサンダルトリオでお決まりの記念写真。サンダルランナーは足が顔なのだ。
さてスタート時刻の11時が近づいた。トモさんの呼びかけで皆んなが手を繋いで輪を作る。
そしてあの誓いをトモさんの後に続いて詠いあげる。
「・・・・全て自業自得。アーメン!」
これは気合いが入るなぁ。
11時になりスタート。
速さを競ってるわけじゃないので、和気あいあいとおしゃべりしながらほぼ一定のペースで走ります。
陽射しが強くて暑いけど、芝を吹き抜ける風が気持ちいい。
最初の休憩ポイントの二子玉川のセブンイレブンへ到着。(約20km地点)
暑いので大好きなジャンボモナカを食べる。みんな思い思いに好きなもん買って、食べて、飲んで、しゃべって。このゆるゆる感はなかなか良いではないか。
すっかりリフレッシュして出発。
多摩川沿いを再び走り38km地点に到着。ここが最初のデポだ。かなり汗をかいたせいか早くも脚が攣り始める。塩熱サプリは30分に1個と決めて水分と合わせて摂取してたのだが・・・ 不安。
ふと土手の下の方を見るといつの間にか女子ランナー達が円陣を組んで寛いでるではないか。まるで女子会だ。
それに比べて男どもは思い思いに土手に座ったり寝転んだり。
コミュニティーの形成力においては男子より女子の方がはるかに優れてるようだ。付け加えるなら彼女達はこのまま100マイルを走りきっちゃうんだからこれは最強の女子会だ。
出発してしばらくするとやはり脚が熟成してきた。ペース落としたり、歩いたりして誤魔化しながら前へ進むがなかなか治らない。グループからどんどん遅れ始めて焦る。焦るほどに熟成は進む。とにかく前へ行くしかない。
途中、2回くらいコンビニに寄った。
超長距離では、ここでしっかり食べたり、飲んだり、脚を休めたらするのが大事なんだけど、なにせ遅れてるせいもあって落ち着かない。慌ただしく先を急ぐ。まだまだメンタルが弱いな。
そもそも走り出しのペースの読み違いがあったかも。グループ走といっても先頭、中間、後方とグループは分かれる。自分なんかは後方グループでゆっくり立ち上がった方が良かったんじゃないか。結局、脚が熟成してしまって後方どころかそこからさらに遅れて孤独に走るハメに。自業自得だ。
でもこういうシチュエーションって嫌いじゃない。これまでもそうだったように、こういう時にこそ学ぶことは多い。自業の結果、学びを自得する。自業自得ってそういうことだろ。常にポジティブであれ!
悪戦苦闘の末、ようやく69km地点の青梅鉄道公園へ到着。ゆかさん、タルさんも出迎えてくれた。ここでゆかさんに熟成した脚をケアしてもらった。塗り薬とか足指体操みたいなやつとか。こんなにも熟成しやすい脚のくせして、塩熱サプリくらいで予防法や対処法をあまり知らない自分を反省。
ここらから折り返し地点の常福院との往復約24kmはトレイル区間だ。
熟成した脚が不安だけど、ゆかさんのお陰でだいぶマシになったし前進あるのみだ。トモさんは全体を見守りながらつかず離れず走ってくれていて、鉄道公園からは一緒にスタートした。
トモさんによれば「今からでも十分に24時間完走は可能」だと言う。実感としてはわからないけど、その気になる。トモさんにそう言われると俄然その気になる。
そして真っ暗闇のトレイルに入る。緩やかにアップダウンを繰り返しながら高度を上げて行く。脚が再び熟成し始める。登り斜面で踏ん張れない。立ち止まることがだんだん多くなる。途中、トモさんにスペシャルマッサージを施してもらってかなり和らいだ。感謝感激。
トレイル区間では誰かしら見てくれていたので、メンタルはかなり救われた。
途中、榎峠のエイドで、温かいスープや塩味が効いたお漬物をいただく。美味しい。真夜中にこんな山の中でこんなに手の掛かった美味しい料理をいただけるなんてほんとうに有難いことだ。
榎峠を後にして折り返し地点の常福院へ向かう。登りが全然踏ん張れない。不思議と下りは走れるのが救いだ。
常福院の階段を牛歩の如く登る。どうも最後尾になってしまったようだ。
常福院では達成感を感じる余裕もなく、即折り返す。その後も、下りは走って、登りは牛歩の繰り返し。脚が上がらず転けたりもした。
そんな自分に常福院から女子ランナーがつかず離れずついてくれている。途中名前を聞きあって黒田さんと知ったけど、KUGISANだというところまで頭が回らない。
そのKUGISANが途中で杖代わりに倒木を拾ってくれた。杖を使うと登りも負荷を分散できるのでだいぶ楽になった。「KUGISANの魔法の杖」と呼ぼう。トレランポール禁止のレースも結構あるので、いざという時、倒木を使えばいいんだ。学ぶこと多し。
鉄道公園が近づき道が広くなったところで「後はまっすぐだから先行くね」といってKUGISANは颯爽と暗闇に消えていった。もしかして置いてかれた・・・?
鉄道公園に到着。ゆかさん、タルさんが再び出迎えてくれて安堵。トモさんが、午前1時にここを出発すればサブ24圏内だと言ってたのを思い出す。もう1時半だ。ゆっくりしている場合ではない。荷物を整えて出発。
平地に入って脚の熟成はだいぶ治ってきた。出発してすぐのコンビニでホットコーヒーとおにぎりを補給。少し気持ちに余裕が出てきたので、スタッフの写真撮影にも元気で応える。
朝の3時に多摩川の堤防に着く。
脚の熟成からようやく解放されて、まずまずのペースで走り続ける。夜が明けると鳥のさえずりが聞こえ出し、緑に包まれる。空気は冷んやりとして草木の香りが濃い。至福の時間だ。100km以上も走ってるのにこのままずっと走っていたい気分になる。
ここはパワースポットだ。
日が昇るにつれて気温が上昇。陽射しがきつい。河川敷は太陽の光を遮るものが無くずっと陽射しを浴びる。
TDTキャップはどうしたっけな?
こんなキャップです。
たしかデポで預けてしまったはず。
ザックに入れとけば良かった。
そんな風に思ってると、目線の先にTDTキャップが落ちている。
誰か落としたんだろう。流石に人の帽子を使って汗だくにするわけにはいかないので、拾ってザックに引っ掛ける。残り38km地点のデポでスタッフに落ちてたキャップを渡す。
後日談だけど、実は走り終わってからスタッフさんとのやりとりで、どうやら拾ったキャップは自分のものではないかという疑惑が持ち上がる。そんなバカな! でも状況証拠を積み上げていくとその可能性は否定できない。
もしかして幻覚?
超長距離走って幻覚を見るという話しはよく聞く。だけど、これまで30時間寝ないで走ったレースでも自分は眠くもならないし幻覚も見ない。幻覚を見るまでは限界ではない、いつか幻覚を見てみたいとさえ思ってる人間なのに?
持ってないと思い込んでたキャップのこと考えてたからキャップが現れたのか?
自分で落として自分で拾った?
真実はわからないけど、それが落とし主が見つからない唯一のキャップだったらやっぱり自分のものなのかもしれない。
事実かどうかなんて関係なく人間は見たいもの見る。
さらに進んで残り25kmくらい。暑さで気持ちが萎えてたところ、前方からなんとゆかさんが走って来るではないか! 止まらず走り続ければギリギリ24時間に間に合うという。24時間切りは半ば諦め、何時になってもいいからゴールには戻ると開き直っていたのでちょっとびっくり。
ゆかさんがペーサーとなってゴールを目指す。
声掛けしてくれたり、冷たい水をコンビニで買ってぶっかけてくれたり、アイスクリームをもらったり、ザックを背負ってもらったり、キャップを貸してくれたり、至れり尽くせりで引っ張ってくれる。これがペーサーというものなんだ。いつか自分も誰かのペーサーをやる時があったらこうするんだな、なんて考えたりしながら、先へ進む。
しかし、暑さで頭が朦朧とし始めると急速に走る意欲が減退。諦めの気持ちが脳を支配し身体にブレーキを掛けるのだ。かなりの距離を歩いた末に、とうとう木陰に寝転んでしまった。如何ともしがたい無気力に包まれてしまっていた。
しかし、しばらく横になっていると、このまま寝ちゃだめだ、ゆかさんに申し訳ないと意を決して起き上がる。そして歩いたり、走ったりしながら先へ進む。
炎天下でこんなダメダメな自分に気長に付き合ってくれたゆかさんに本当に感謝。
ゆかさんがいなかったらもっと長い時間あの木陰で寝入ってしまってかもしれない。
残り10km地点の私設エイド(通称ガス橋エイド)に到着。橋の下なので陽射しが無く快適だ。飲んだり、食べたり、エイドのスタッフと喋ったりしてるうちに、だいぶ正気が戻ってきた。
キャップはゆかさんの借り物です。
「残り10km走ってゴールしよう!」
ゆかさんから気合いもらっていざ出発。
結構走れるやんか。
限界って何?
No limitsなの?
都心のビル群に心が踊る。
やっと帰ってきた。
ゆかさんがペースを上げる。
自分もペースを上げる。
走れるぞ!
サロ門が見えた!
声援が聞こえる!
何人かが門の前でアーチを作ってくれてる!
誰もいないゴールを覚悟してたからすごく嬉しい!
ついにゴール!
25時間。
24時間切れなかったけど、戻ってこれて良かった。
最後の10kmをしっかり走ってゴールできて良かった。
全ては報われた!
No limits!
もちろん独りの力ではない。
ゆかさん、トモさん、KUGISANをはじめTDTに関わった仲間全てに感謝!
もし、神様がもう一度TDTを走らせてくれるチャンスを与えてくれたら、かならず24時間以内に戻って完走する。
その日のために自分を鍛えるんだ。
そう誓って僕の初TDTが終わった。
アーメン!
The OMM japan 2016 〜信濃の里山に遊ぶ
Orginal Mountain Marathon、略してOMM。
48歳で始めたランニング。ロードに始まってトレランへ。距離も10kmがハーフになりフルになり、ウルトラへ。僕のランニングワールドもどんどん拡張してきたわけだけど、このOMMは新たな領域と言えるだろう。
OMMについての詳細はホームページを見ていただくとしよう。
OMM JAPAN 2016_INTRODUCTION | OMM / Original Mountain Marathon オリジナルマウンテンマラソン Japanオフィシャルサイト
簡単に説明すると、ストレートとスコアの2種目あり、それぞれロングとショートで計4種目。ストレートは決められたコントロール(チェックポイント)を順に辿り、時間を競うレース。スコアは、制限時間内に、できる限り多くのコントロール(難易度に合わせて点数がついてる)を辿り、その合計得点を競うレース。後者はオリエンテーリングに近い。いずれも2人1組でDAY1、DAY2の2日間、テント泊でレースにのぞむ。その間、エイドステーションはなく、テント、シュラフ、食料、調理器具などを全て担いで移動する。1人がだいたい10kgくらいになる。トレランよりも荷が重い。
これがコントロール。腕につけたSIチップを、コントロールに固定されたSIステーションに突っ込むとその時の時刻が記録される。フィニッシュ地点でこの記録を読み出せば、どのコントロールを何時何分に到達したかがわかるというシステム。
Mountainというだけあってレースは山がフィールドだ。山というのは普通は道を歩くもんだが、OMMではほとんどのコントロールが道沿いではなく、道の無い山頂や谷底にあるので、地図とコンパスを頼りに道無き道を突き進んでコントロールを見つけ出す。
※〇の中心がコントロールの位置、括弧の数字が点数。難易度が高いほど点数が高くなっている。
アルプスの様な高山ではなく、山あり谷あり林道あり、複雑な地形をした里山を丸ごとフィールド(遊び場)にした実にダイナミックなレースなのだ。
【DAY0】(11月11日)
スタートが朝早いので前日会社を休んでパートナーの新川さんの車で会場となる鹿島槍スポーツビレッジへ向かう。午前中関東で降っていた雨も諏訪湖に着く頃には上がって青空に。
さらに北上し、安曇野を抜け、信濃大町を過ぎ、ようやく会場へ到着する。
目の前に北アルプスが聳える絶好のロケーション。
受付はトレラン大会と違ってお洒落な雰囲気。その後、寝床へ。
昔懐かしいスキーロッジってやつだ。狭いけど暖房効いてるし全然快適。
夕食前に荷物の再チェック。削れる装備はないか、2人のバランスは取れてるか、もう一度点検する。今回はDAY1の夕方にテント張ってからたっぷり時間があるので、まともな夕飯を作って食べるため食材がかなり重いのと、朝晩はかなり寒くなることが予想されるので寝袋は4シーズン用で重さも嵩もそれなりにある。だが寝食は心身の英気を養うためにとても大切なので削らない。
夕飯はビュッフェ形式だ。ここもなんかお洒落。会場全体がちゃんとデザインされていてOMMのブランドイメージへのこだわりが感じられる。
とてもリラックスできてレース前の緊張感などどこへやら。
明日のために夕飯をガッツリいただいた後は、OMM BARでビールの飲みながらテーブルに貼り付けてあった地図(当然ですがスタート/フィニッシュ、コントロールの位置は書いてない)を肴に作戦会議。
【DAY1】(11月12日)
朝6時起床。
朝食ビュッフェをガッツリ食べていざ出陣。
快晴! 北アルプスが朝陽を受けて輝いてる。爺ヶ岳(左)から鹿島槍(右)までの稜線が美しい。
林道を1kmほど歩いてスタート地点まで移動する。
スタート地点はいくつかのブロックにテープで区切られていて、ブロック毎に順に前へ進み、最終ブロックで初めて地図を受け取ります。ざっと地図を読み、コントロールの位置を確認して方針を決める。そして最終ブロックから1分ごとにスタートしていきます。
ウェーブスタートなのでトレランのような「渋滞」はないものの、狭いシングルトラックを連なって降りていきます。最初からハイペースだと体力消耗するのでちょうどいい塩梅だ。
最初はみんな行動パターンが同じでだいたい同じ方向を目指して進むのでOMMらしさはないけど、いきなり紅葉に彩られた里山の美しさに魅せられてレースなんかどうでもいいという気分になる。
進むに連れて各チームが少しづつ分かれて行く。僕のチームはその後、草に覆われたゲレンデに入った。山道だったらたいがい九十九折(つづらおり)になってるのだが、ゲレンデなので直登。やっぱキツイ。だけど登るにつれ下界の景色が広がって気分爽快。やっと山に入って気持ちが高ぶる。
ここからはいよいよ本格的な地図読みの世界が始まる。OMMらしくなってきた。各チームがてんでバラバラな方向に動き出す。同じコントロールを探しているのかどうかも分からないので後をついて行くなんて気にはならない。お互いどこへ向かっているのかなんて会話をすることもない。
地図読みの基本は、
1)地図上で現在位置を把握すること
2)コンパスの磁北と地図の磁北を合わせて(整地という)進むべき方角を正確につかむこと
この2点を繰り返しながら前へ進む。
コントロールは、地形や木や藪の陰に隠れて離れたところから見えることはほとんどない。目と鼻の先までいかないと見えないことも多い。なので、地図で読み取った地形と目で見た地形を重ね合わせて正確に位置を見定める必要がある。これが読図力でありレースの命運を分ける。トップ選手は走力も半端なく高いが、読図力も半端なく高いのだろう。走力はあるけど読図力が足りないのと、読図力はあるけど走力が足りないのと、どっちが有利か? OMMの場合は間違いなく後者だと思う。迷った時のタイムロスは致命的だ。とても走力でカバーしきれるもんじゃない。もっとも読図力が真に重要なのはレースに勝つためではなく、山で道に迷って遭難をしないためなので、山に入るあらゆる人が身につけるべきスキルだろう。その意味でも読図力を磨くことが走力以上に大切だと思う。
地図を読むために何度も足を止め、じっくりと景色を眺める。静けさの中、風の音、鳥の声が聴こえる。走ってたら出逢えなかった一瞬、歩いていても出逢えなかった一瞬を味わい尽くす。
そうこうしてる内にDAY1フィニッシュ地点に近づく。
北アルプスがお出迎え。
制限時間7時間まで10分を残して無事フィニッシュ!
今日はここで一夜を明かします。
とても明るく広々として素晴らしいキャンプ場だ。
早速テント設営。レギュレーションによりチームで1つのテントを使います。2人で快適に過ごせるテントということで、やや重く1.5kgほどあるがアライのエアライズ2をチョイス。
テント設営を完了したら、何はともあれ日が沈む前に夕飯の準備だ。今回はキャンプ生活を楽しむことも大切な目標なので、ちゃんとした夕飯を作って食べます。いつもは軽量化のためフリーズドライかレトルトで簡単に済ませてばかりだけど、今回は生食材も取り入れてキムチ鍋を作ります。
キムチ鍋の出来上がり。
やっぱ旨い!
秋といえども里山の夜は冬並みに冷える。鍋は身体を芯から温めてくれる。
そして鍋と言えば締めだ。
締めラーメンも最高!
日もすっかり沈み辺りは真っ暗。食後に定番の山スタバ(珈琲)を飲んで夕食終了。
近くでどよめきが聞こえたので目をやるとキャンプファイヤーをやってる。
キャンプファイヤーなんて三十何年かぶりかな。みんなで焚き火を囲む。
焚火の炎を見てると時を忘れる。
そしていつも炎の中に龍を見る。
昇り龍だ。
テントサイトの夜景は、都会のイルミネーションとは異なる趣があってとても素敵だ。
あちらこちらで団欒の声が聴こえて賑やかだ。みんなどんな話をしてるんだろう。
夜が更け気温が急激に下がる。そろそろ寝る時間か。でもまだ20時くらい。寝付けにホットワインをたっぷり飲み干して就寝。
酔っ払って寝たもんで22時くらいに目が醒める。トイレに行く。外はますます冷え込んで寒い。月明かりにテントがぼんやりと浮かぶ。
もう団欒の声はなくテントサイト全体に人々の寝息(いびきも)が鳴り響いてる。静かだけど人間の”息”(生)に圧倒される。こりゃ熊も近づけないだろうな。
その後もなかなか寝付けないままに朝を迎える。
【DAY2】(11月13日)
テントから出てみると凍てつく寒さ。
零下4℃。
まずはモーニング珈琲で身体を温めてアルファ米とフリーズドライで簡単に朝食を済ませたところでテントを撤収、パッキングしてスタートに備える。
今日も快晴。有難い。走れば身体もすぐに温まるだろう。
いよいよDAY2が始まる。
初日が思いの外、調子良かったのでどうせなら順位を上げたいと欲が出る。DAY1同様、直前に地図を渡されて作戦を練る。DAY1の経験があるので地形もだいたい想像がつく。今日はそれなりに走るつもりで野心的な計画を立てスタートした。
前半は調子よくポイントを稼ぐ。相変わらず紅葉の山は素晴らしく気分は上々。
紅葉ばかりに目がいくが、針葉樹の直線美も素晴らしい。
時折、姿を見せてくれる北アルプスの雄姿に心が沸き立つ。夏になったらあそこを縦走したいもんだ。
DAY2の制限時間はDAY1より1時間短いこともあって、あっという間に時間が過ぎた。それまで調子良くポイントを稼いで来たが、どうもフィニッシュ地点までの移動距離と時間を推定すると制限時間内に帰れない可能性が高いことに気づく。ちょっと調子に乗りすぎたか・・・これがOMMの奥深さだな。
それからはとにかく得点より前へ進むことに集中。トレランモードで走れるところはしっかり走る。
ようやくDAY1で通ったゲレンデのてっぺんに到達。眼前に北アルプスを見渡し、眼下に青木湖を見おろす絶景に息を飲む。
ゲレンデを降りたところで時間を確認。時既に遅し。ここからの登りるを考えるとどうしたって制限時間をオーバーすることがわかった。制限時間オーバーに対するペナルティーは1分5 点と重い。とにかく減点を最小限に抑えるべく先を急ぐ。しかし登りに入るとペースが上がらない。息を切らして必死に黙々と登る。ゲレンデの急傾斜を登り切り、最後のコントロールに到達。後はゲレンデを下るのみだ。
北アルプスがお出迎え。
最後の力を振り絞って走る。
そしてフィニッシュ!
制限時間24分オーバー、120点の大減点。
これも1つの経験だ。次に活かそう。そう思えば全く悔いはない。
反省はしても後悔はしないというのがモットーなのだ。
こうして初めてのOMMは終わった。
お山をグルグル廻った2日間の走行距離50km強、累積標高2千m強くらいでした。
帰路の途中でネットでリザルト(暫定)を確認すると、成績は思いのほか良くて完走186チーム中の66位。
DAY1の順位が71位だったのでDAY2で順位を上げだことになる。反省点は多々あれど、よう頑張ったんやとようやく自分達を褒めることができた。
最高に美しく、楽しかった2日間に感謝!
来年はもうちょっと順位を上げたいなどと欲が出るのは人間の性。
OMMは同じ場所ではやらないので来年の開催場所はわからない。あまり遠いところでないことを願うけど、こんなに楽しいレースだったら遠征してもいいかな。
それまで走力、読図力をもっと磨くとしよう。