甲州街道 鳥の旅 215km
UTMFを走りたい。
富士山をグルッと一周、距離165km、累積標高7500mを46時間以内で周る日本最高峰のトレイルランニングレースだ。距離、時間とも未体験ゾーン。
UTMFへのステップとして100マイル以上の距離を経験しておきたい。そう思ってたところへ『鳥の旅』が転がりこんできた。
甲州街道を下諏訪から日本橋まで215km、46時間で走破する。まさに距離と時間を経験するにはもってこいだ。即エントリー。UTMFは抽選なのでその時点でUTMFを走れるかどうか決まってたわけじゃないが、結局UTMFの0次関門(抽選)を突破することになる。思考は現実化するのだ。
基本的にロードを走るのは好きじゃない。だけどこの大会の触込みはこうだ。
『下諏訪から日本橋まで江戸時代に整備された五街道の一つ"甲州道中"
昔の面影を所々にのこす旧道を堪能し旅をする』
なんとも唆るキャッチフレーズ。さっそく甲州街道の解説本を買ってルートをトレースしながらスマホの地図アプリgeographicaに宿場や旧道分岐点をマーカー登録。
まずは地図上の旅から始める。
主催者からの地図は1週間前になってもまだ届かない。私設レースみたいなもんだし記念すべき第1回ということで主催者の末房さんが独り奔走して企画してくれてるんだから無理もない。こっちは解説本で頭にインプットしてあるのでさほど不安は無い。そうこうしてるうちに地図とゼッケンが届く。
スタートは6月25日 0:00 下諏訪
前の日は当然仕事なので、キャリーバックに装備を詰め込んで出勤。パッと見、宿泊出張にしか見えないがバックの中身は開けてビックリだ。その日は霞ヶ関ビルの最上階で大きな会議があり、江戸の街を見渡すことができた。
果たしてここへ戻ってこれるのか・・・
仕事が終わって新宿バスタへ移動し、18:25発の岡谷行きバスに乗り込む。
少しでも寝た方がいいのだけれどそう思うとなかなか寝付けず。1時間くらいはうとうとしたかな。21時半頃に下諏訪下車。雨が降ってる。
スーツを着たままなので下諏訪駅へ向かい、身障者用の大きなトイレでビジネスマンからスーパーマンならぬウルトラマラソンマンに変身。
スタート時間まで2時間くらいあるし急いで受付場所の諏訪大社まで行くこともないかと駅の待合室を覗くと明らかにランナーと分かる方がお二人。こんな時間にこんなところに座ってるのはこの旅に出る人以外は考えられません。『走る』という共通点だけですぐに話しが盛り上がる。これまでのどんなレースに出たとか、あれこれ話してるとあっと言う間に時は経ちます。どうやら受付場所にも人が集まってきたようなので我々も雨の中、移動します。
受付場所の諏訪大社秋宮へ到着。私設レースらしく小さなテントが1つ。
みんな降りしきる雨などへっちゃらな感じで和気藹々としてます。タフな人たちだ。ここで通行手形をいただき、旅の気分を盛り上げてくれる。主催者の心遣いに感謝。
裏面にはこう書いてある。
俺は変態なのか?
世間ではそう思われるのかもしれないが、変態の集まりの中では変態では無いことだけは確かだ。
せっかくなので諏訪大社に参拝して、旅の無事を祈念。
【6月24日0時】
旅のスタート!
みんな一斉にダッシュ・・・なんてことはありません。まるで散歩に出たようなユルユルなスタート。先は長いからね。街道に出るとぼちぼち加速。初めての経験でどのくらいのペースで走るのかよくわからないので、集団につかず離れず前へ進みます。スタートまでかなり降ってた雨も小降りになって気持ちも明るくなる。
夜なので景色を楽しむということもなく、時折、旅人達と会話しながら、ただひたすら街道を進みます。雨は降ったり止んだり。レインウェアを着るほどでもないくらい。
そして夜が明けました。旅人達とはバラけて独りの時間が多い。
(6月25日5時前 蔦木宿付近)
白州町に入り東京まで171kmの道路標識。気が遠くなる距離だけど、そんなこと考えなきゃなんてことありません。125kmを超えて走ったことの無い自分だけど、超長距離を走るために必要な心の持ち方は分かってます。
コンビニエイドで至福の珈琲をいただきます。レース前はカフェイン断ちしてるので、レース中の初珈琲は気持ちをシャキッとさせてやる気を起こすのにとても有効でした。
台ヶ原宿を過ぎた辺りで古道入口の標識。先を急いでそのまま国道を行く人が多い中、古道に入って行く旅人が一人。せっかくの歴史を辿る旅なんだから古道を走ろうとついて行く。
旅人に撮ってもらいました。
随分と草木が生い茂ってますが、思うにこの古道が現役バリバリに活躍してた頃は、もっと整備されて道らしかったろう。
古道を抜け再び国道を進みます。
武川町に入り富士山が見えました。
電線が邪魔。電信柱と電線は著しく日本の景観を損ねてると思う。
この辺りは旧道へ入ったり出たりします。
(6月25日 7時頃 武川町牧原)
旧道の両側にはたいがい水路があって民家があります。きっとこの水路が生活に密着していたんだろう。舗装と電線が無ければ江戸時代にタイムスリップできそう。
立派な蔵や庭のある風情のある大きな家が多い。街道筋に住む人達は裕福な名家だったのだろうか。
騒々しい国道よりも静かな旧道や古道を走るのが心地良い。
韮崎を過ぎると富士山を背景に甲府盆地を見渡す場所がありました。昔の旅人もきっと脚を止めてこの景色を見たのだろう。
甲府盆地へ降りると晴れ間が広がる。雨上がりで蒸し暑い。脚は元気でも気持ちが萎えて歩く時間が長くなる。第1エイドまでの数kmがなかなか縮まらないので余計に気持ちが萎える。
(6月25日 12時)
ようやく第1エイドの石和健康ランドに到着。風呂に入ってから身体はリフレッシュ。
風呂上がりのソフトクリームが旨い!
脚を休めて気分を持ち直したところで再出発。
それにしても甲府盆地は暑い。
諏訪の雨が恋しい。
第2エイドまでは22kmくらいで距離は短いけれど難所、笹子峠を越えなければならない。第1エイドを過ぎてからどうも左脚前面の足首の上の辺りが痛む。4月のチャレンジ富士五湖ウルトラ118kmのの時に痛めたのと同じ部位だ。いやな予感。走り方を微調整して少しでも痛みの少ない走りを試行錯誤して走る。
鶴瀬宿から国道を離れ笹子峠への旧道を登り始める。どうせペースも遅いし、走り方を矯正するならいっそ裸足でと思ってワラーチを脱いで裸足で走る。裸足だと不思議と痛みが薄れる。このままずっと裸足でと行きたいところだか、スリップ防止のためかヤスリのように粗いアスファルトに足裏の痛みを我慢できず再びワラーチを履く。路面状態を見て時々裸足になりながらひたすら峠道を登る。
(6月25日 17時45分 峠道分岐)
峠道の途中、甲州街道峠道の標識から山道に入る。
整備が行き届いていてとても走りやすい。何よりも森の木々に包まれていると心が休まる。やっぱりトレイルが好きだな。
再び旧道へ戻り笹子隧道へ到着。
(6月25日 18時半 笹子隧道)
日没が近づいてかなり薄暗い。このトンネルは〇〇が出るので地元の人は夜は通らないとか・・・独りぼっちでここを通るのかと思うと鳥肌がたつ。しかし前へ行くしかない。脚の痛さも忘れてダッシュで駆け抜けた。
トンネルを出て少し降りて再び山道へ入る。薄暗い森の中、圧倒的な存在感でその木は目の前に現れた。思わず息を呑む。
矢立の杉、樹齢千年。甲州街道が甲州街道と呼ばれるそのずっと前からこの場所で生き続けてきたのだ。これを見れただけでもここまで走ってきた甲斐があったというものだ。日が暮れる前にここまで辿りつけて本当に良かった。
矢立の杉から走りやすいトレイルを駆け降りるとようやく第2エイドに到着。
ちょうど日が暮れて夜になった。
(6月25日 19時15分)
独り孤独に走ってるとエイドで人と会えることだけで安堵する。
そして、ここで食べたカレーライスとお味噌汁が最高に美味しかった。
ここからはナイトランだ。それに第3エイドまでは50km以上の長丁場。気合いを入れて出発。国道を淡々と進む。大月宿の手前で暖かい食べ物をお腹に入れようとコンビニへ入る。というのもこの先、下鳥沢からの長い旧道はコンビニが無いことが十分予想されたからだ。
脚が痛かろうが、眠かろうが、動ける限り前へ進めるが、ガス欠になったら動けない。だからお腹が空いてなくても食べる。これは超長距離を走り抜くためにとても大切なことだと思う。
(6月25日 22時15分)
で、食べたのがコレ。ちっとも美味しくない。さっきのカレーとは大違いだ。後で教えてもらった話しだともしかしたらこの頃からミネラル不足(特に亜鉛)による味覚障害に陥ってたかもしれない。UTMFの時にはミネラル補給をしっかり計画したい。
下鳥沢で国道を離れ真っ暗な旧道へ入る。アップダウンを繰り返す。途中、犬目宿を過ぎた峠で視界が開けた。眼下に談合坂SAが見える。
(6月26日 1時)
行き交う車を見てるだけでも少しは孤独が紛れるのだが、暗闇から独り手の届かない景色を見ていると、まるで自分があの世から眺めているような気分になって少し寂しさも感じる。
旧道をさらに進みようやく上野原宿で国道20号戦へ合流。合流してすぐにコンビニの灯りが見える。オアシスのように思えた。少し空腹感を感じたのでカップうどんを食べたのだが・・・
(6月26日 3時 上野原宿)
むっちゃ不味い。やはりミネラル不足で味覚障害だったんだろう。でも根っからの珈琲党なせいか、暖かい珈琲は美味しくて気持ちがシャキッとする。
シャキッとしたところで国道を進みます。やがて夜が明け始め、明るくなったところで相模湖に到着。
(6月26日 4時20分 相模湖 西端)
湖畔沿いはコンビニも無く、歩道もちゃんと整備されてないところが多く、交通量も段々多くなる時間帯なのであまり快適とは言えません。そんな中、広々とした湖を見渡す場所がありしばし見惚れる。
再び怖い国道を進みます。脚の痛みに気を取られてたのと、国道20号を進むんだという思い込みに地図も見ずに小仏峠へ向かって峠道を登っているつもりが、峠のてっぺんに着いたら、大垂水峠って標識が・・・・あれっ?
道間違いをやらかしてしまったようだ。
スタッフの方に電話してどうしたらいいか相談したところ、そのまま20号線を進んで第3エイドをパスして日本橋へ向かうか、道間違いした分岐へ戻って予定のコースへ行くかの選択肢。時間的にはまだ余裕がある。さてどうする。よし、戻ろう。第3エイドで竹姫(スタッフ)に会うんだ。ふと見るとそこには富士山の雄姿が。
本当は見るはずのなかった富士山を見れて良かった。そんな風に自分の都合のいいように楽観的に思い直すのも超長距離を走るためには必要な能力かもしれない。
そこから道を間違えた分岐までは何故か脚の痛みも無く下り坂を激走。あっと言う間に分岐へ到着。どうやら人間の身体はここぞという時にはアドレナリンがいっぱい出て痛みを麻痺させるらしい。
分岐からは小仏峠を越える林道に入ります。ホッとしたとたん脚の痛みが復活。慌てずぼちぼち登ります。痛くても山の中は気持ちがいい。
そしてようやく小仏峠へ着く。
(6月26日 8時24分 小仏峠)
さぁ、ここを下れば第3エイドだ。
再び山道を下る。これから登るハイカーと逆走。舗装路に出て左手に文明の象徴、高速道路を見る。もうすぐ第3エイドだ。そう思うとまたアドレナリンが湧いてきて走れる。下り坂をいいペースで走る。スタミナはまだまだイケる。
そして第3エイド到着。
(6月26日 9時15分 高尾梅の郷 まちの広場)
竹姫の姿が見える。やっと会えたぁ。第2エイドから第3エイドはマジでキツかったけど、竹姫に会うんだと言う気持ちがかなり支えになって辿りついたんだと思う。
第3エイドに着くとまた脚の痛みが復活。保冷剤をもらってアイシング。日本橋まで50km以上ある。道を間違えて余分な距離を走ってしまった。ここでリタイヤするかどうか悩む。でもここでリタイヤはちょっと惜しい。もう駄目だと納得するまでは走ろう。そう思い直して第3エイドを後にした。
第3エイドに辿りついてホッとしたせいかアドレナリンが出ないようで脚が痛いし都会は暑い。スタミナはあるけど気持ちがついてこない。ヨタヨタと走ってるとなんと友人に遭遇。偶然? そんなはず無くて、僕のFBの投稿を見て応援のため国道20号線を逆走してきてくれたとのこと。それから楽しくラン談義しながら併走。こうやってぼちぼち走ればいつか日本橋へ着くかなぁ、なんて思いながら・・・
しかし、左脚のこれまでと違う部位に痛みを感じ、走りがおかしくなった。10kmくらいなら走り切るが50km走れるのか? ここで脚を壊したら梅雨明けの夏山やその先のUTMFをふいにしないか? 悩んだ末、リタイヤを覚悟。そう決めたら走るどころか歩くのもままならない。人間の身体の不思議。近くのコンビニでどっと疲れが出て休息をとる。独りでリタイヤしてたら悲愴感に包まれてたかもしれないけど、友人がいてくれて話し相手になってくれてなんか清々しい気分。友人に感謝。
6月26日 10時40分
こうして僕の「鳥の旅」は日本橋まで辿りつくことなく八王子で終わった。
runmeterのログ
走行距離:182km
走行時間:35時間
距離、時間とも自己ベスト。
金曜日の朝6時に起きてから日曜日の18時に就寝するまで不眠時間60時間。人生初体験。人間の身体の限界って考えているよりも高いところにあるようだ。
課題は左脚の故障だが、ロードよりはトレイルの方がダメージは少ないだろう。そう考えるとUTMF完走は無理な話しじゃないと今は思える。そもそもUTMFに向けての経験を積むためにエントリーしたと言う意味においては十分目的を果たせたと思う。
来年リベンジするかどうかはわからないけど記念すべき第1回の「鳥の旅」に参加して本当に良かった。あらたな出会い、初めて見る景色、人間の身体についてのあらたな気づき。何事もやってみなきゃわからない。182kmという距離も1kmの積み重ねでしかない。一歩一歩に集中して前へ進む。
人生も同じ。
あらためてイチローのこの言葉が頭に浮かぶ。
『小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。』
確かにそうだ。
内側から外側へ
トレイルを守るということ
イベントリーダーのタルさんが関わる地元四国の“どんぐりトレランチーム”からお借りした物です。自分も家庭菜園で使ってるクワを持参しましたが、お借りしたクワは細身だけど肉厚でずっしり重く、畑用とは別物でした。山の斜面は畑と違って石ころもたくさん埋まってたので、畑用じゃ文字通り刃が立たなかったと思う。借りて正解でした。
チャレンジ富士五湖118K奮闘記
4月24日にチャレンジ富士五湖118K完走しました。ロードのウルトラは2年前の野辺山100K以来。その野辺山は制限時間24分オーバーでDNF(フィニッシュゲートは通過できたけど・・・)。実はトレランでは100kmオーバーを完走してるけどロードは完走したことがない。その点で今回は新たなチャレンジだ。硬い路面を走るロードのウルトラマラソンは、同じ距離のトレイルランよりも制限時間が短く、別の厳しさがある。いつだって何が起こるかわからないウルトラの世界。走るのに自信なんて要らない。必要なのはゴールを目指して前へ進み続ける強い意志だけだ。
Pain is inevitable. Suffering is optional.
南八ヶ岳親子縦走
瑞牆山、穂高岳縦走に続く3回目の親子本格登山です。いい季節なので紅葉の綺麗な山に行こうと情報収集したけど、穂高岳で岩山に魅せられた息子に合わせ南八ヶ岳に決定。一泊二日テント泊で。なんと息子はテント泊初体験。それもいきなり標高2300mのテント場で。自分も2000m超えのテント泊は初めて。まぁいざとなれば小屋へ逃げ込めばいいし。と軽い気持ちで・・・しかし。
午前中の雨は止んだけど曇り空。ガスっていてかなり肌寒い。沢伝いにテント場のある行者小屋を目指します。コースタイム2時間なので余裕です。苔むした森に生命の息吹きを感じつつのんびりと登ります。
夕飯は無印良品のビーフカレー(レトルト)です。息子にとっては初テントでの初夕食。旨い! 中学生らしく食らいつきます。狭いテント内での質素な夕飯だけどこの非日常感がたまらない。
このCiel Bleuのテーブルはすごく軽くて硬い木で作られていて組み立ても簡単。コンパクトに持ち運べるのでとても気に入ってます。ちょっとした事だけどキャンプ生活が快適でリッチになる。少しくらい荷が重くなっても山へ持って行きたいアイテムの一つです。
草っ葉の凍りついた夜露が太陽の光に照らされ銀色に輝いてとても幻想的。
子育てとは人生を二度生きること〜穂高岳親子登山編
息子の耕平を穂高岳へ連れて行く時が来た。自分の身一つなら明日からだって山へ行けるけど、息子にとっての初めて3000m級の登山が良き経験となるよう、いつもより念入りに準備をしたつもりだ。
荷物の重さは適当だろうか?
何を食べ、何を飲むか?
寒い時、暑い時、着替えをどうするか?
逝ってしまった親父はどんなことを考えたんだろう。
相変わらず耕平は調子が悪い。それでも自分の足で前に進むしかない。それが一つの学びとなる事を親として願う。親父もそんな風に思ってたのだろうか。
険しい道が続く。
そしてついに奥穂高岳山頂へ辿り着いた。(13:30)
恐怖を味わいつつ無事に山荘到着。(14:40)
人を拒絶するかのような岩場に、逞しく花を咲かせる高山植物に心が和む。
さて、ここまで無事にワラーチで辿り着いたわけだが、途中、たくさんの人に「サンダルで凄い」「怪我しませんか?」「修行ですか?」と声を掛けられた。トレランレースだとちゃんと「ワラーチ」と呼んでくれる人が増えてるのだが、登山の世界ではまだまだ認知度が低いようだ。実際のところ、これほど険しい岩場でワラーチってどうなのかと言うと、けっこうイケる。足指が自由に動くしソールも柔らかいので、岩盤をよじ登ったり降りたりする時に岩肌の凹凸を掴みやすいのだ。ゴツい登山靴だと微妙な凹凸は感じ取れないだろう。足を守るために足の機能を殺すことが本当に安全なのかと疑問に思う。岩角に足をぶつけて切ったりしないか心配にもなる。しかし、慎重に足を運んでいる限り、仮にぶつけても切れるなんてことにはならない。そもそも自然の岩角はいくら尖っていても刃物のように鋭利ではない。人工物の方がよほど危険。さらに突き詰めると裸足が最も安全なのかもしれない。もちろんシューズに飼い慣らされて眠ってしまっている足本来の機能を目覚めさせた上での話だが。
分岐点へ戻ると耕平は、おあつらえ向きの岩盤の上で絶景に囲まれて堂々と昼寝してる。すっかり山男になったようでちょっと嬉しい。
あっという間に横尾到着。(14:15)
ここから上高地まで梓川沿いに心地良いフラットな林道が11km続きます。
上高地へ向かって、歩いたり走ったりしながら黙々と進みます。
牧歌的な徳沢園キャンプ場を過ぎ、
明神館まで来ると上高地はもうすぐだ。
そしてついに上高地へ無事帰還。(16:20)
よく頑張った!
お父さんも頑張った!
登山とは無縁な観光客で賑わう河童橋から、遠く穂高岳を眺め、優越感と達成感に少しばかり酔う。それも上高地の魅力。
また来よう。
こんどはどの山に登ろうか。
【登山を終えて】
耕平がまた山に登るのかどうかは分からない。父から子へ何かを伝えられたのだろうか? 言葉で説明できない何か。もしかしたらある時、フッと身体の奥底から湧いてきて山へと突き動かされるかもしれない。自分は今は亡き父からそんな何かを受け取って、大人になった今もこうして同じ山に登ってるのだから。
(おわり)