もっと遠くへ

山が好き。走るのが好き。さぁ、果てしない旅に出よう!

内側から外側へ

 『すべての成長や生命は内側から外側、すべての衰えや死は外側から内側へ向かいます。これが普遍の法則なのです。あらゆる進化も適応も内側から生じます。他人との争いをやめ、自分の持つ力を、自身の心の変容、再生、そして発達に傾ける人は、自身のエネルギーを保持し、自身を護る人です。』(「心の中から」ジェームズ・アレン)
内から外へ向かうもの。それは愛。
TAKEの無いGIVE。
怒りや愚痴を外へ吐き出すのと何が違うの? 
ネガティヴなものを外へ出すって、電子の動きと電流が逆に流れるみたいに、実はそれは外から内へ奪うエネルギーなんだろうね。
Be postive !
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トレイルを守るということ

  5月21日、22日の2日間、ワラーチ倶楽部の仲間が企画した西湖でのトレイル整備イベントに参加しました。レースであれ、登山であれ、当たり前のように利用しているトレイルだけど、それを維持して安全に通れるようにするには人が常にメンテナンスしなければならない。華やかな表舞台の裏にはそんな裏方さんが必ずいるってことを体感した濃ゆい2日間でした。
  今回は秋のワラーチ・トレイルレースのコースになる予定の西湖の東側道路の山裾を通る“旧根場(ねんば)通学路”という使われなくなった通学路の整備でした。
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 組体操すら危ないからと運動会で廃止されてしまうような過保護な時代ではあり得ないワイルドな通学路。ここが現役で活躍してた頃はどんなトレイルだったのだろう。そんな事を想いつつトレイルへ分け入る。
  いよいよ整備開始。3チームに分かれそれぞれ異なるパートを整備します。私はCチーム。傾斜が緩やかなパートなので女性5人と男性2人。 使う道具は、クワ、ノコギリ、ショベル、剪定バサミ、ナタなど。
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イベントリーダーのタルさんが関わる地元四国の“どんぐりトレランチーム”からお借りした物です。自分も家庭菜園で使ってるクワを持参しましたが、お借りしたクワは細身だけど肉厚でずっしり重く、畑用とは別物でした。山の斜面は畑と違って石ころもたくさん埋まってたので、畑用じゃ文字通り刃が立たなかったと思う。借りて正解でした。

 泉田さんが前を歩きながら整備のポイントをデモンストレーションしながら説明してくれました。
 
①土が流れて斜面になってしまったトレイルの山側を切り崩してフラットにする。切り崩した土を谷側でしっかり踏み固めておく。(クワ、ショベル)
②大きな石ころや木の枝や幹など、蹴躓かないように取り除く。
③走ってて頭にぶつかりそうなくらい張り出した枝葉を最小限に切り払う。(ノコギリまたは剪定バサミ)
 
作業開始。
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こんなトレイルが・・・
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こんな風になって・・・
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極上トレイルがどんどん延びていきます。
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 どちらかというと雑で飽きっぽい男子と違って、女子は丁寧だし、地道に取り組みます。まさに女子力炸裂!  
 実は作業を始めてしばらく、女子の進みが遅いので、タルさんと「あんまり丁寧にやり過ぎたらきりが無いね」とか話したりしてたんだけど、大きな誤解でした。 気がつけばCコース折り返し地点。女子からは「もう終わったの?」の声。いつの間にか、すっかり仕事人になってるやんか。
その後、折り返しながら仕上がりをチェック。
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どうですこのトレイル! 消えかかったトレイルが復活。みんなで走って踏み固めればさらにいいトレイルになるなぁ。
 
作業が終わり通学路の入り口まで戻って記念撮影。
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武器を振り上げエイエイオー!
トレイル戦士だ。
 
整備が終わってもお楽しみはまだまだ続きます。
 
拠点キャンプビレッジ“ノーム” に戻り、山仕事の汗を、歩いて2〜3分の温泉“いずみの湯“で流してさっぱり。夕飯はお待ちかねのバーベキューパーティです。キャンプ場を運営する我らが師匠 木村東吉さんの挨拶に始まり、ワイワイガヤガヤあっという間に時間が過ぎます。
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 走ることについての皆それぞれの体験や考えなど、面白おかしく、時には真剣に語り合うって美味しすぎるわぁ。
もちろん料理も最高に美味しい。
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肉の後は定番の焼きそば。
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さらに、締めは功子さんの“そば飯”
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まいうぅ〜!
 
パーティーが終わっても場所を変えてまだまだ宴は続きます。
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そしてテントで就寝。
おやすみなさい。
 
朝です。
今日もいいお天気。
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ノームのテントサイトはむっちゃ気持ちがいい。だから何度も来たくなる。
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朝の西湖の静かな佇まいに、いつも心が癒される。
朝食は、朝カレー(レトルト&アルファ米だけど)と至福の珈琲。
一息ついたところで活動開始。
 
 今日は昨日整備したトレイルをみんなで走ります。
自分のチームが整備したところをみんなどう感じてくれるのかな?
他のチームはどんなトレイルを整備したんだろう?
これまでに経験したことのないワクワク感です。
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 キャンプ場の入り口に集合。
前日に呑みまくっていた酒豪達(朝から迎え酒を呑んでたらしい・・・)も何事もなかったかのように強者ランナーの出で立ち。流石です。
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  東吉師匠を先頭に旧通学路に入ります。
Cチームが整備した区間で「これは凄い!」「走りやすい」という声を聴いて、人知れずドヤ顔になる。
  Aチーム、Bチームのエリアは急斜面や岩場などかなり難易度が高く、屈強な男子が配置されたのが頷ける。
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 完全なトレイルに仕上げるにはもっともっと時間を掛ける必要がありそう。しかし、完全なトレイルに仕上げるのが本当にいいのかどうか? 自然と人為のバランスをどこに置くのか? 場所や、誰がそのトレイルを使うかによるし、1つの答えがあるわけじゃないだろう。大切なことは頭だけで考えるんじゃなくて、山に入って心と身体で生々しい自然を感じながら考えることだろう。今回もトレイルに近接した木の根元の穴が鳥の住処で、中を覗いたら雛鳥が何の曇りも無いつぶらな瞳でこっちを見てる。胸がキュンとする。そもそもここは迂回した道を作った方がいいんじゃないかと思った。こういうのは現場でないとわからない。(仕事も同じですね)
  9月の第2回整備ではきっとさらに多くの人が参加して、みんなで汗かいて、パーティーで盛り上がって、色んな気づきを共有して、もっともっと西湖を良くして行こうって流れになることを確信しました。 そして、西湖だけじゃなくて、日本のあちこちの美しいトレイルが子々孫々守られることを願う。
ということで、やっぱ締めは日本の魂、富士山だ!
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(またドヤ顔)
終わり!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

チャレンジ富士五湖118K奮闘記

 4月24日にチャレンジ富士五湖118K完走しました。ロードのウルトラは2年前の野辺山100K以来。その野辺山は制限時間24分オーバーでDNF(フィニッシュゲートは通過できたけど・・・)。実はトレランでは100kmオーバーを完走してるけどロードは完走したことがない。その点で今回は新たなチャレンジだ。硬い路面を走るロードのウルトラマラソンは、同じ距離のトレイルランよりも制限時間が短く、別の厳しさがある。いつだって何が起こるかわからないウルトラの世界。走るのに自信なんて要らない。必要なのはゴールを目指して前へ進み続ける強い意志だけだ。

 レースは富士山北麓公園を4時にスタート。前泊には中途半端な時間なので自宅で仮眠してマイカーで深夜に出発した。渋滞もなく順調に進むが途中から雨が降り出す。前の週のかすみがうらマラソンでかなり強い風雨を経験済みなので心構えはできているが、景色のことを思うと晴れて欲しい。
 無事に公園駐車場に到着。開門と同時に荷物預け場所へ向かう。第26回という歴史のあるレースだけに運営はしっかりしている。着替えを済ませ、ドロップバックを預けてスタートゲートへ。幸い雨は止んだ。
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まずは同じレースをワラーチで走る弁慶さんこと大西さんを探す。千人弱のランナーの中を探すのは普通なら難しいのだけど、背が高くて弁慶の格好してるのであっという間に見つかる。道中の無事を祈る。
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午前4時スタート。長い長い旅の始まりだ。暗闇の中、山中湖を目指す。走り出しから脚がやや重い。やはり1週間前のかすみがうらフルマラソンの疲労は完全には抜けてないのだろうか。日の出が近づくにつれ薄明るくなってくる。山中湖に着く頃にはすっかり日が昇ってたのだが、曇り空で朝陽はささず。お天気はイマイチだけど、遅咲きの桜の彩が気持ちを明るくしてくれる。
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富士山は裾野が少し見えるだけで全容は拝めず。それでも湖面に映る富士山の大きな山裾に見惚れながら気持ち良く走ります。(6:30頃)
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山中湖を後に再び北麓公園の方へ戻り返して河口湖へ。湖と湖の間が山越えなのでアップダウンがかなりあります。トレランに比べれば斜度は大したことないのでペースを落としながらも歩かず走ります。
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河口湖到着。寒風に煽られながら河口湖大橋を渡る。(9:00頃)
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モノクロームな湖を眺めながら湖畔の道を進みます。
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いつもの如く、ワラーチ履いてると、たくさんの人が声を掛けてくれるので単調なロードでも多少は気が紛れます。
 次に向かう西湖は河口湖より標高が高いので、その間に割と急な登り坂があります。昨年走った富士山マラソンの難所です。
少し登り始めたところで第3関門(足和田救護所:56.4km)に到着。(10:00頃)  
関門閉鎖時刻まで1時間くらい。まずまずのペースだ。
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 ドロップバックを受け取り、Tシャツを着替え、ジェルフラスコを差し替える。フルでもウルトラでもいつも脚が攣るのが悩みの種。今回は攣り対策として、必ず5km毎にジェル(糖質)と塩熱サプリ(塩分)を補給することにした。これまでのところ脚攣り無し。
 西湖に向けて急坂を登る。傾斜が緩みトンネルを抜けると間も無く西湖に到着。
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観光地化された河口湖よりも静かな西湖が好きだ。西湖畔にあるワラーチの師匠、木村東吉さんの運営するキャンプ場「ノーム」が見えた。
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 せっかくなので受付棟に立ち寄り、東吉さんとアシスタントのかほさんにご挨拶。握手して元気を貰う。ノームを出てしばらくして東吉さんと記念撮影撮ったら良かったと後悔するが、さすがに戻る気にはなれず。西湖を離れ、山間に入ってすぐの第15エイド(西湖野鳥の森公園:63km)で吉田うどんをいただいた。気温が低いので温かい食べ物はありがたい。(11:10頃)
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精進湖へ向かう途中、満開の桜に心が和む。
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そして、あの有名な青木ヶ原の樹海の縁を走ります。味気ないアスファルトなんか放ったらかして深淵な森へ入りたい衝動に駆られる。
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 そして精進湖に到着。他の湖に比べると小さくて池みたいだ。
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唯一 精進湖畔を走ってる時だけ青空が見えた。青空に紅色が映えるこの木はなんていうのだろう。
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 そしてついに五湖最奥の湖、本栖湖へ。
第4関門(本栖湖県営駐車場:75km)到着。(12:50頃)
関門閉鎖時刻まで40分くらい。
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ここで2個目のドロップバックを受け取る。かなり寒いので長袖シャツに着替えて出発。残すところフルマラソン一本分だ。風が吹いて寒い。残念ながらガスって湖は何も見えない。
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気持ちのいい林間を走る。
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それにしても脚が重くペースが上がらない。果たして完走できるのだろうか。2.5km毎の距離標識がものすごく長く感じる。旅ランは終わりだ。写真撮影もせず、ただひたすら走る。キロ7分台のペースを維持したいが、エイドで立ち止まると次に動き出した時に脚が固まってしまい、しばらく走れなくてロスが大きい。なのでエイドは滞在時間を極力短くするかパスする。往路に立ち寄った西湖野鳥の森のエイドで吉田うどんをもう一度食べたかったが諦めて通過。
 第6関門(西湖公民館:98.9km)通過。16:05頃。関門閉鎖時刻まで20分。あと20kmだ。この頃から時々、足指が攣り始める。今回は糖質、塩分、水分の補給をきっちりやったせいか、太腿、脹脛、脛は攣っていない。しかし足指が攣ってもやはり走れない。立ち止まって少しおさまったら走り出す。そんなことを何度か繰り返しながら、とにかく走ることだけの集中する。エイドの看板に”おかゆ”の文字を見つける。むっちゃ食べたい・・・でも我慢して通過。もう止まるわけにはいかない。
 第7関門(河口湖ステラシアター:113.1km)通過。18:10頃。
関門閉鎖時刻までたったの5分。ぎりぎりセーフ。残すところ5km。フィニッシュ制限時刻の19時まで50分。
平地ならなんとかなりそうだが、走りながら聞いたランナーの会話では、3kmが登りで、2kmが下りだそうだ。痛む脚で坂を走って登る。歩いている人との距離が縮まらない。全然走れてないやんか。しょうがないので歩く。完走は無理かなと何度も心が折れそうになる。もう時計は見ない。最後までベストを尽くだけだ。そうこうしている間に長い長い3kmが過ぎ、下りに転ずる。こんな脚で走れるのか? おぉ、走れるぞぉ~! 後でログを見たら8分/km弱なので決して速くはなかったはずだが、その時は5分/kmくらいで疾走しているような感覚だった。
 
フィニッシュゲートのある競技場の灯りが見え、アナウンスの声が聞こえてくる。
両サイドの人がどんどん増え、拍手と声援に心が躍る。 
フィニッシュゲートが見えた!
間に合ったぞぉ〜!
万歳をしながらゴールテープを切った!
 
記録14時間57分10秒。制限時間まで2分50秒。
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あのエイドで、吉田うどんを食べてたら・・・
あのエイドで、おかゆを食べてたら・・・
最後の2kmが下り坂でなかったら・・・
運が良かっとたしか思えない。
だけど諦めないで前へ進んだからこそ運を引き寄せたのだろうと思う。
だから最後まで諦めなかった自分を褒めてあげよう!
 
完走後、前脛下部に酷い痛みを感じる。それが段々酷くなるので翌日整形外科で診てもらった。シンスプリント(脛骨過労性骨膜炎)というやつらしい。ワラーチ履いてから故障とは無縁だったのでショックだ。1か月前と1週間前にフルマラソンを走ったのでやはりオーバーユースだったのだろう。せっかく完走しても故障しては元も子もない。 この点については大いに反省。
 
シンスプリントの痛みがかなり和らぎ、気持ち的にも落ち着いたところで思うのは、やっぱり長い距離を走ることは”旅”を楽しむようなものでありたいということだ。関門時間に追われていては”旅”を楽しむことはできない。根本的には、そのレースを余裕を持って走るための走力が足りていないということなのだから、もっと走力を高めることが必要だろう。他方、レースでなくても自分で旅ランを企画して走ったっていいのだ。
 
あくまで楽しむために必要な身の丈にあった走力を少しづつ磨きながら、もっと長く、そして永く走り続けたい。
 
 
 

Pain is inevitable. Suffering is optional.

 これは、村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)の中の一節だ。自分なりの解釈は「痛みは避けられないが、苦痛は選択可能」ということだ。このことについて裸足ランを通じて思うことを書いてみた。
  11月22日につくばマラソンを裸足で走った。
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今年の東京マラソンに続き2回目の裸足でのフルマラソン挑戦だ。東京マラソンはFUN RUN気分で写真を撮ったり、エイドで立ち止まって食べたり飲んだり、のんびり5時間掛けて完走したが、今回のつくばはサブ4を目標に真剣に走った。結果、3時間55分10秒で完走し目標を達成した。
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ワラーチでの自己ベストが3時間32分なので4時間切りはペースとしては問題無い。足裏に傷がつかなければ達成可能と思ってサブ4を目標とした。実際に走ってみれば、つくばの路面が全体的に滑らかだったということもあるが、足裏は無傷だった。
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足裏のことばかり気にして、いつも気にしてるペース配分とか補給を全く気にせず走ったもんで、30km過ぎてペースが落ちたり(と言うのも前半の路面が良かったので時間を稼ごうとハイペースで走ったので)、脚が攣ったり(裸足なら攣らないかななどと勝手に思い込んで塩分補給もせず、水分も糖質も無計画)してペースガタ落ち。サブ4は諦め掛けたけど、そこはウルトラマラソンの経験もあって完走は諦めないつもりで走ってたら復活!最後5kmくらいは再びペースを取り戻してギリギリのところでサブ4達成。結構なマイ・ドラマがありました。
  2回目の裸足フルであらためて感じたこと。裸足で走ってるとたくさんのランナーが声を掛けてくれる。「凄いですね」「痛くないですか?」「怪我しないように」「尊敬します」「裸足頑張れ」とか。その度に手を上げて「頑張ります」「大丈夫ですよ」とか返事してると痛くても気分が良い。「痛い」けど「苦痛」ではない。これは裸足ランの楽しみの一つだ。
 さて、前置きはこれくらいにして本題へ移る。「痛み」とは身体への「入力信号」(刺激)だ。裸足で走ってると足裏から路面状態が圧力信号に変換されて入力される。脳がそれを「痛み」として感じ反応する。これは人間の本能に属する機能であり万人に共通する。例えば針のように尖った物を踏めば局所的で急速な圧力変化に「あ痛っ!」と即座に足を引っ込めるだろうし、少しザラザラしてる程度なら痛くもないので身体も特に反応しないだろう。針の筵(むしろ)を歩くなんてのは拷問の一つで極度の「苦痛」を強いるものだ。そう、反応には、身体の反応と心の反応があるのだ。
 初めて裸足で走るとアスファルトでさえも痛くて我慢できず「こんなんで走れる筈ないわ」と思う。つまり「苦痛」に耐えられない。ところが3〜4日(個人差はあるかもしれない)続けていると、なんだか「痛み」に慣れてくるせいか鈍感になって「苦痛」ではなくなる。きっと「この程度の痛みは命に別状はない」と判断して反応回路を組み替えてしまうのではないかと思う。「痛み」という入力信号は同じでも脳の反応は異なるのだ。
現代はシューズなるもののおかげで足裏に刺激を受けることが殆ど無いもんだから脳が過剰反応を起こしてブレーキを掛けてしまう。脳こそが自分だなんて考えないで身体を信じてやれば、やがて脳も気づいてブレーキを解除する。つまりこれが「苦痛」は選択可能であるということの自分なりの解釈だ。
  文明の力に依存せざるを得ない時代だけど、時には自分のできる範囲で文明の力を脱ぎ去って原始の人間の感覚を取り戻すということは、これから先の不安定な時代にあってとても大切なことだと思う。本当の強さは身体の外ではなく身体の内側にある。
身体の復権
GO WILD!
ということでオチがついたのでこれで終わりにします。
 
 

南八ヶ岳親子縦走

 瑞牆山穂高岳縦走に続く3回目の親子本格登山です。いい季節なので紅葉の綺麗な山に行こうと情報収集したけど、穂高岳で岩山に魅せられた息子に合わせ南八ヶ岳に決定。一泊二日テント泊で。なんと息子はテント泊初体験。それもいきなり標高2300mのテント場で。自分も2000m超えのテント泊は初めて。まぁいざとなれば小屋へ逃げ込めばいいし。と軽い気持ちで・・・しかし。

【10月11日】
 10時半に家を出て中央道で美濃戸の登山口へ向かう。渋滞もなく3時間ほどで到着し赤岳山荘の駐車場に車を止めて登山開始!(14:00)
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  午前中の雨は止んだけど曇り空。ガスっていてかなり肌寒い。沢伝いにテント場のある行者小屋を目指します。コースタイム2時間なので余裕です。苔むした森に生命の息吹きを感じつつのんびりと登ります。

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針葉樹が多く紅葉はイマイチな山だけど時折、黄色に染まった大きな斜面が現れて見惚れてしまいます。
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 テント場に到着。とにかく寒い。真冬のようだ。早くテントを張って潜り込みたいのでそそくさとテントを張ります。設営完了し荷物を放り込んでホッと一息ついた頃には辺りは薄暗くなってました。(17:20)
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 夕飯は無印良品のビーフカレー(レトルト)です。息子にとっては初テントでの初夕食。旨い! 中学生らしく食らいつきます。狭いテント内での質素な夕飯だけどこの非日常感がたまらない。

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  食後はお約束のカフェタイム。僕は山スタバ、息子は砂糖たっぷりの紅茶。至福のひと時です。(18:00)
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このCiel Bleuのテーブルはすごく軽くて硬い木で作られていて組み立ても簡単。コンパクトに持ち運べるのでとても気に入ってます。ちょっとした事だけどキャンプ生活が快適でリッチになる。少しくらい荷が重くなっても山へ持って行きたいアイテムの一つです。

www.cielbleu-at.com

夜がふけるにつれ寒さが増します。息子はダウンの4シーズン用シュラフですが、自分のはダウンだけどウルトラライトな3シーズン用シュラフ。やっぱり寒い。寒さで時々目が醒めてうつらうつらしながら長い長い夜を過ごします。息子はちゃんと寝たのだろうか?
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【10月12日】 
どうにも寒いし昨夜7時には就寝したので朝は3時半には起床。テントの外に出てみると、なんとそこには息をのむような満天の星空。オリオン座、冬の大三角形がクッキリ。これは写真に撮らねば。マニュアルモードにして、絞りを開放、シャッター速度は2秒くらいから仕上がりをみつつ調整して15秒にセット。デジカメは写りをすぐに確認できるので便利だ。しかしあの圧倒的な星の数とその深淵なる煌めきは写真では絶対に再現できないのだ。(4:00)
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息子を起こし、朝ご飯を食べて、珈琲飲んで、荷造りしてテントを撤収してたら時間があっという間に過ぎてあたりが明るくなってきた。雲一つない空。歩いてもいないのに興奮して体温が上がる。(6:00)
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 少し出遅れたので阿弥陀岳、中岳はパスして文三郎尾根から赤岳を目指すことにした。かなりの急登ですがしっかりとした梯子が整備されているので楽に登れます。
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 赤岳と中岳の間のコルに到着。朝陽を浴びて黄金のように輝く阿弥陀岳を望みます。(7:00)
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 ここから赤岳山頂へは穂高岳を彷彿させる急峻な岩場を登ります。
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もう少しで山頂というところで、キタァ〜富士山だぁ〜! いつものあの悠然とした御姿を見せてくれました。
これを見ただけで登って来た甲斐があるってもんだ。
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そして赤岳山頂(標高2899m)へ到着。(7:40)
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360度の絶景が広がります。
野辺山の里を一望。
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そしてまた富士山。何度見ても飽きない。
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 赤岳山頂を後にして横岳へ向かいます。険しくも美しい稜線が続いてます。
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 履物はいつものようにワラーチなんだけど、あまりの風の冷たさに登り始めから五本指ソックスを履きました。フットベッドとの間に布切れ一枚挟むだけでワラーチとの一体感が薄まるので好きではありませんが。
  険しい岩場が続きますが、この夏に登った奥穂から北穂の稜線に比べれば何てことはありません。
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稜線の北側斜面は真冬です。
岩清水は氷になってる。
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 草っ葉の凍りついた夜露が太陽の光に照らされ銀色に輝いてとても幻想的。

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 日が昇るにつれ富士山の姿も変化します。山頂の白雪が光に照らされ絵に描いたような富士山になってきました。(9:40)
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少し気温が上がってきたのでソックスを脱いで素足になります。
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 風は冷たいけどやっぱり素足が気持ちいいのだ。歩いていれば血が巡りそんなに寒くない。
 いくつかのピークを経て横岳山頂(2829m)に到着。(10:20)
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 硫黄岳へのなだらかな稜線が見渡せます。なんだか走れそう。でも実際は岩がゴロゴロして走れたもんじゃありません。
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 硫黄岳山荘でお約束の山ラーメンを食べます。サッポロ一番みそラーメン。山で食べるラーメンはなんでこんなに旨いんだろう。(11:30)
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 硫黄岳へ向かうガレた斜面を登ります。強風で飛ばされそうになりながらあっという間に硫黄岳山頂(2742m)に到着。(12:10)
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風がつよいので長居は無用、早々に赤岳鉱泉へ向け下山開始。降りるにつれて風も弱まり緊張も解れます。
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やがて長閑な山道へ。木漏れ日に心が癒される。
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 快調に飛ばして予定より早く赤岳鉱泉に到着しました。食事メニューが充実してます。カレーもスパゲッティも数種類あって食欲をそそられたのか息子がカレーを食べたいと言う。ここまで来れば降りたのも同然だし、頑張ったご褒美にとオーダーしました。さっきラーメン食べたんだけど・・・(13:30)
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 赤岳鉱泉を後にして沢伝いに下って行くと黄色に染まる箱庭のような紅葉の森がありました。紅葉はあまり期待していなかったので、これは自分へのご褒美かな。
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さらに下ると苔むした森に入ります。
神々しい。あらゆる命に神は宿る。
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真っ赤に染まる木々も美しい。
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  山道が終わり林道になるとゴールが近い。ゴールが待ち遠しくて自然とペースが上がります。そう言えば穂高岳縦走の時も涸沢から横尾へ下る山道を走ったな。今回も走った。ハードな縦走の最後に走れるくらい体力を残してるんだから息子も大したもんだと思う。俺もな・・・と自分で自分を褒める。
 
                 
 
そして登山口へ戻り縦走完了!(14:50)
万歳!
よく頑張った。
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帰りはスパティオ小淵沢で温泉入って夕飯を食べました。お腹減ったとか言ってスパゲッティとカツ丼を平らげた。なんだか食べてばっかりのような気もしないではないが、かなり燃費悪そう。
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 自分的には初のテント泊縦走を経験して登山のバリエーションが広がったと思う。
さぁて、こんどはどの山に登ろうか。
 
もっと遠くへ!
 
 
 
 

 
 

 
 
 
 
 

 

 
 

子育てとは人生を二度生きること〜穂高岳親子登山編


  息子の耕平を穂高岳へ連れて行く時が来た。自分の身一つなら明日からだって山へ行けるけど、息子にとっての初めて3000m級の登山が良き経験となるよう、いつもより念入りに準備をしたつもりだ。

荷物の重さは適当だろうか? 

何を食べ、何を飲むか? 

寒い時、暑い時、着替えをどうするか?  

逝ってしまった親父はどんなことを考えたんだろう。

【 8月10日】
 午前中で仕事を切り上げて帰宅。パッキングを仕上げて、夕飯食べて、3時間ほど仮眠。夜11時、車で自宅を出発した。渋滞も無く3時頃には沢渡駐車場に到着する。シャトルバスに乗ろうと5時半くらいにバス停に向かうとジャンボタクシーの運ちゃんが客引き中。9人集まったら1000円だと言う。バスは1250円。なるほど商売になるわ。「あと二人乗れるよ」と言うのでタクシーに乗ることにした。お陰でバスより早くに上高地バスターミナルに到着できた。
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 二十何年かぶりの上高地。大学生から社会人なりたての若かりし頃には何度か来たなぁ。懐かしさが込み上げてくる。  
   河童橋を渡り、岳沢登山口へ向かうと上高地らしい景色に遭遇。こういう幻想的な雰囲気は早朝にしか見れない貴重な瞬間だ。
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さぁ、登山開始!  (5:45)
林間の山道をひたすら登ります。
奥穂高岳前穂高岳を結ぶ吊り尾根がだんだん近づく。
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それとは反対に、眼下の上高地がだんだんと小さくなっていく。この高度感がたまらない。
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岳沢を経てようやく紀美子平へ到着。(10:20)
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  耕平が「眠い、頭が痛い」と言って岩盤の上にへたり込む。軽い高山病だろう。標高1500mから3000mまで一気に登るのだから無理も無い。自分も中二で初めてここを登ったときに、同じようにへたり込んで、その後、奥穂高岳まで荷物を親父に担いでもらった。親父との忘れられない思い出の一つだ。
  耕平をそのまま休ませておいて、独り空荷で前穂高岳山頂へアタック。
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槍ヶ岳が見えた!やっぱ槍を見ると気持ちが高ぶるなぁ。

 実は今回はワラーチでの初アルプス登山。シューズよりも履きなれたワラーチなので今のところ問題無し。風通し良くてむしろ快適。この先どうなることやら。それは未知の世界。
 紀美子平から吊り尾根をつたって奥穂高岳へと進みます。
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 相変わらず耕平は調子が悪い。それでも自分の足で前に進むしかない。それが一つの学びとなる事を親として願う。親父もそんな風に思ってたのだろうか。

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険しい道が続く。

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そしてついに奥穂高岳山頂へ辿り着いた。(13:30)

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 標高3190m。日本で三番目に高い山だ。僕は3回目、耕平は生まれて初めての3000m超え。
  耕平も元気も出てきたようだ。山頂の祠の前で男らしく胡座をかいて何を想う。
 身体が高度に慣れてきたこともあるだろうが、神が降臨したというこの山の頂には、エネルギーが集まっていて人に元気を与えるのだろう。
  山頂から少し降りたところで今夜のお宿、穂高岳山荘が見えた。しかし、とんでもない絶壁。耕平も思わず「マジかよ」と叫ぶ。
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恐怖を味わいつつ無事に山荘到着。(14:40)

 お盆休みなので覚悟はしてたけど、チェックインの時「今日は一つの布団に二人でお願いします。」と言われる。(結局、それほど混雑せず一つの布団に一つで快適に眠れました。)
 夕飯は17:40から。豪華とは言えませんが、ご飯と味噌汁はおかわり自由なので、耕平はおかわり3杯!
それだけ食べれたら明日は大丈夫だ。
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 夕飯のあとも時間はたっぷりあるので、のんびり珈琲&紅茶タイム。標高3000mで飲むスタバは格別だ。
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  耕平は遥か眼下の涸沢を眺めながら大好きな“ゆず”を聴いたりなんかして、贅沢なひととき。
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 日が沈み明日の支度を済ませて就寝。こうして無事初日が終わる。

【8月12日】
 日の出前に朝食を済ませるため、自分は 3時過ぎに起きて準備。4時頃に耕平を起こして朝食を食べます。朝カレーに朝パスタ。軽量化と時短のためフリーズドライですが、山の上では何でも美味しく食べられます。f:id:YSTiseki:20150814133814j:image
  
残念ながら雲に遮られて御来光は拝めませんでしたが、雲海に浮かぶ八ヶ岳連峰のシルエットに魅了される。あそこを端から端まで縦走したい。
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 そして、北穂高岳へ向けていざ出陣!(5:40)
 
 初日にも増して険しい岩場が続きます。小便チビりそうな絶壁を鎖や梯子で登ったり降りたり。さすがに心配なので「3点確保」を何度も繰り返し声がけする。手を放したら滑落して死にます。
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 人を拒絶するかのような岩場に、逞しく花を咲かせる高山植物に心が和む。

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 ふと見ると遠くに富士山。
どこから見ても美しい山だ。
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 振り返ると歩んできた道が・・・道ってどこよ ? 指輪物語にでも出てきそうな威厳のある岩山に圧倒される。あそこを乗り越えてここまで来たんだと思うと感慨深い。
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そして、ようやく北穂高岳山頂への分岐点へ到着。(8:40)

耕平は休みたいと言うので自分だけ空荷で山頂アタック。
 北穂高岳山頂からの眺めは抜群です。
槍が岳とそこへと向かう険しい稜線が一望できる。まだ恐怖感冷めやらぬ時に見ると身震いが止まらない。でもあの頂きを見ると踏破してあそこへ辿り着きたいという気持ちも湧いてくる。そうやって山は人々を引き寄せるのだ。
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さて、ここまで無事にワラーチで辿り着いたわけだが、途中、たくさんの人に「サンダルで凄い」「怪我しませんか?」「修行ですか?」と声を掛けられた。トレランレースだとちゃんと「ワラーチ」と呼んでくれる人が増えてるのだが、登山の世界ではまだまだ認知度が低いようだ。実際のところ、これほど険しい岩場でワラーチってどうなのかと言うと、けっこうイケる。足指が自由に動くしソールも柔らかいので、岩盤をよじ登ったり降りたりする時に岩肌の凹凸を掴みやすいのだ。ゴツい登山靴だと微妙な凹凸は感じ取れないだろう。足を守るために足の機能を殺すことが本当に安全なのかと疑問に思う。岩角に足をぶつけて切ったりしないか心配にもなる。しかし、慎重に足を運んでいる限り、仮にぶつけても切れるなんてことにはならない。そもそも自然の岩角はいくら尖っていても刃物のように鋭利ではない。人工物の方がよほど危険。さらに突き詰めると裸足が最も安全なのかもしれない。もちろんシューズに飼い慣らされて眠ってしまっている足本来の機能を目覚めさせた上での話だが。

  待たせている耕平を気にしつつも山頂にある北穂高岳山荘(^_^)vのテラスの珈琲があまりにも美味しそうなので御賞味。槍を眺めながらの淹れたて珈琲は最高です。
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 分岐点へ戻ると耕平は、おあつらえ向きの岩盤の上で絶景に囲まれて堂々と昼寝してる。すっかり山男になったようでちょっと嬉しい。    f:id:YSTiseki:20150814153219j:image

 分岐点から涸沢まではガレた下りが延々と続く。普通だとキツくて弱音を吐きそうなとこだけど、奥穂高岳から北穂高岳までの恐怖の岩場に比べればなんてことはない。だんだんと近くなる涸沢を眺めながらハイキング気分で下る。
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  涸沢小屋へ到着。(11:30)
ここまでくればもう安心。
昼食はサッポロ一番みそラーメン。旨い!
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せっかくなので雪渓を歩いてみた。 真真夏の雪は、耕平には生まれて初めてだろう。
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涸沢からの下りは傾斜も緩やかで足取りが軽い。
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  早く上高地に辿り着いたい一心で耕平が走り出す。トレランなら負けるわけにはいかないと走るが、こっちは荷が重いしなかなか距離が縮まらない。結構、速い!
ハードな登山の最後に、これくらい走れるんだから大したもんだ。こんどはもっと走れる山へ連れて行くかなぁ。
   youtu.be

あっという間に横尾到着。(14:15)

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ここから上高地まで梓川沿いに心地良いフラットな林道が11km続きます。

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上高地へ向かって、歩いたり走ったりしながら黙々と進みます。

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牧歌的な徳沢園キャンプ場を過ぎ、

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明神館まで来ると上高地はもうすぐだ。

そしてついに上高地へ無事帰還。(16:20)

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よく頑張った!

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お父さんも頑張った!

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  登山とは無縁な観光客で賑わう河童橋から、遠く穂高岳を眺め、優越感と達成感に少しばかり酔う。それも上高地の魅力。 

また来よう。

こんどはどの山に登ろうか。

【登山を終えて】

耕平がまた山に登るのかどうかは分からない。父から子へ何かを伝えられたのだろうか? 言葉で説明できない何か。もしかしたらある時、フッと身体の奥底から湧いてきて山へと突き動かされるかもしれない。自分は今は亡き父からそんな何かを受け取って、大人になった今もこうして同じ山に登ってるのだから。

(おわり)

 

 
 
 



 
 
 

子育てとは人生を二度生きること

  週末に、息子との瑞牆山(2230m)を登った。ちょうど四年前の苗場山(2145m)登山以来だ。
   実は今年のお盆休みに奥穂高岳(3190m)登山を計画している。何も大混雑のお盆休みに行かなくてもと言いたいところだが、仕事と部活が両方まとまって休めるのはここしかないのでしかたない。さすがに3000m級の山ともなるとぶっつけ本番は心配なので、今回の瑞牆山登山は息子の体力テストのつもりだ。

  中学でバスケ部に入ってから、小学生の頃のポッチャリ体型から見違えるように身体が引き締まってきたので大丈夫だろうと思うが、どうなることやら。

 まずは登山口で同行してくれたラン友三田さんと記念撮影。頼り甲斐のある兄貴って感じだね。さて息子のこの笑顔が最後まで持てばいいのだが。
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  登山口から山頂までの距離は4kmと短いのだが、山頂付近は岩場の急登。奥穂高岳の予行演習に相応しい。そんな岩場も難なくクリア。
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そして山頂到着。
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余裕ありそうなので一安心。三田さんは服脱いじゃったりして野生化してる・・・

山頂からの景色はサイコー!
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奇岩に圧倒されます。
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遠くに八ヶ岳連邦の美しい姿。
いつかあそこを縦走したい。

  絶景を堪能し、珈琲を淹れて寛いだところで下山開始。実は岩場の下りは登りよりも怖いし脚を使います。丁寧に足場を見つけながら降りて行きます。
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 ふと見ると登山ルートの傍にあるたいがいの大岩の足元には、何故かたくさんの細木が立て掛けてある。「倒れるなよ」というおまじないなのか? こんなもんで支えられるわきゃないけどなぁ。人間って面白い。
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 岩場を抜けると深い緑に包まれた心地良いトレイル。午後の柔らかな木漏れ日に癒されながら登山口へと降りていきます。気分爽快。
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そして無事下山。
体力テストは合格!
あとは奥穂高岳に挑戦あるのみ!
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  帰りは近くの温泉で汗を流してスッキリ。身長が同じに見えるけど必死で背伸びしてます。親を追い越そうと背伸びしたい年頃なんだろう。自分もそうだったのかなぁ。

  さて、今回の荷物は今度の奥穂高岳を想定したフル装備でした。自分はOMM32L、息子には僕がトレランレースで愛用のOMM15L。
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  穂高へ行くのがお盆なので山小屋の混雑があまりに酷いなら(もちろん天候が荒れてなければだが)テント泊もできるように自炊道具、テント、シュラフ、マット、防寒着・・・e.t.c.
かなり重くなりますが、走るわけじゃないし自分が重いのは平気なのでトレーニングだと思って担ぎます。
  気になる重さは、水や食料入れて僕が12〜13kg、息子が4〜5kgくらい。昔の登山に比べれば格段に軽量と言って良いでしょ。(かなり道具に投資してます^_^;)
  
  ここでようやくこの話の「落ち」を書くことにしよう。

  何故いきなり奥穂高岳へ連れて行くのか?

  それは自分が今の息子と同じ中二の時、親父にいきなり奥穂高岳に連れて行かれたからだ。なんて無謀な!と今も思わなくもないが、自分もその時バスケやっててそこそこ体力はあったし、息子も同じように行けるんじゃないかと・・・
  なんて偉そうなこと言って実は初めての3000級はへこたれた。初日に岳沢から前穂高岳に登る途中で高山病になり吐き気と頭痛でフラフラになったのだが、親父が自分の荷物を全部担いでくれたお陰で空荷で、なんとか日の入り前に奥穂高岳山荘へ着くことができた。親父って凄いわ。
  無事辿り着いてホッとした時に、山荘の眼下に生まれて初めて見た広大な雲海とそこに浮かぶ富士山と沈む夕陽の美しさに、高山病の苦しさが一気に吹き飛んだ。その後、大学生になって自分で登山を始め、再び奥穂高岳に登ったのも、今回、息子を奥穂高岳へ連れて行こうと思ったのも、この一瞬が原体験として心の奥底に深く刻まれているからだと思ってる。
  その親父は13年ほど前に65歳で早死にしてしまった。僕を山へ連れて行ってくれたのは親父が40歳くらいの時だ。何故、息子をそこへ連れて行こうと思ったのか今や知る術もない。当時にFacebookがあって何か書き残してくれてたらなぁ、生きてる間に聞いとけば良かったなぁ、と今更ながら思う。

「子育てとは人生を二度生きること」と言われるが、こうして自分と息子の人生の時空を重ね合わせてみると、ほんとにそうなんだなと染み染みと感じる。
 親父に感謝!